• [0]
  • 戒名は難しい・・・・

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 6月20日(日)00時27分56秒
 
別のスレッドで戒名が話題になっているが、戒名の理解は難しい。

キリスト教の洗礼名とよく似たものであの世での名前とされているが、誰が考えついたかよく
分からない。仏教が伝来してただちに戒名が発生したとも聞かない。

凡そ室町時代ぐらいから出始めたのでは無かろうか、旧家の系図を見てもこれ以前にあまり
記録されてない。最初は二文字か精々四文字であったらしい。

長たらしい仰々しい戒名は戦国時代から江戸時代にかけて流行ってくる。
よって逆にあまり価値を見出せない。

宗派によっても違うのであろうが、男、女、幼児、嬰子、出家、非出家と違い、
院号も寺殿号、院号、院殿号、軒号等さまざまである。
差別民はまた別である。

よって」歴史上の戒名はその時代と宗派とが密接にからんでくるのではないだろううか?

そもそも大多数の人たちは戒名などもっていなかったと思われる。

宗派によっても違うが寺殿号が最高位で、院号、院殿号がかっての順位と記憶します。
現在は院殿号が上で院号が下と解釈されてるようですが、
そもそも侍(武士)階級は貴族の用心棒からでていて、武士がのし上がるにつれ、上位の院号を要求するようになった。苦慮した寺は院号と差別するために侍の大将を意味する院殿号
を授けることで従来の院号と区別することとなったと言われている。

寺殿号はまさしく寺を一宇寄進するだけの功績のあった者で普通は同名の寺の創建者に納まっていいるケースが多い。

まあ近頃は「墓地を買えば無償で戒名をお授けします」とTV CMを流す世ですから
有難味はなくなりつつありますが・・・・・。

投稿数上限に達したので書き込みできません

  • [6]
  • こんばんは

  • 投稿者:前田
  • 投稿日:2011年12月12日(月)00時22分22秒
 
書き込みありがとうございます。返信遅くなってすみません。

小字は白潟で、家紋は丸に中陰蔦で分家らしいです。
菩提寺は祖父の代の心光寺からしか分からないのですが、(現在は祖父の代で改宗しましたので、お寺も違います。)
祖父が話していたところによると、昔は神道?だったようです。
戒名は年代の一番古いご先祖様で、延享元年 國久宇佐衛門の妻 観月院理性信女
天明元年 来誉院浄迎居士 と記されています。
突然の改名、何かあったのですかねぇ・・。



  • [5]
  • Re: おはようございます

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年11月28日(月)11時29分49秒
 
> お寺は琴石山の近くの心光寺です。

 ●浄土宗の寺ですよね?
  江戸時代は国久家の菩提寺ですか?
  焼けた寺の名とその宗派は分りませんか?

> 祖父の名前は金一と申します。住所は柳井市大字柳井です。

 ●柳井市大字柳井はとても広いです。小字は分りませんか?
  小字は白潟ではありませんか?

> 国久という苗字から、尼子と関係していたのかな?などと身内で話していたりしたのですが、柳井の事にお詳しい方に尋ねてみた所、尼子との関係は考えられにくく、河野氏か若しくはその家老格であった岩政氏ではないかというお話をしていただきまして、河野氏などの事を検索していた所、此方のサイトに辿り着き、先祖の出自について何か教えて頂けたらと思い書き込みさせていただきました。

 ●河野氏家老格の岩政氏とは河野家の誰の時代の話でしょうか?
  また岩政氏と国久氏とはどう関係するのでしょうか?

□ 国久家が士分のような感じですが、江戸時代の士分であれば岩国藩士かその陪臣の可能性がありますが、
 岩国藩分限帳を調べてみないとなんとも言えません。
 ただ柳井は岩国藩の商都ですので商人が一番威張ってます。
 現在ある古い町並みはほとんど商家です。
 商人でも大商人は献納金により、苗字、帯刀、侍格はゆるされたともされます。
 自分の土地のみを通って柳井市街地にたどりつけたとの伝承は土地を管理していたものと
 思われます。となると陪臣の可能性があります。
 士分であれば、明治期に改姓する必要性はないのですが、何か理由があったのでしょうね?

 旧柳井市街地は今の白壁の残る柳井川河畔の非常に狭い地域です。
 柳井町では一番古い商家ゾーンです。
 士分で浄土宗であるのが気になります。以前は禅宗ではありませんか?
 いま伝わる戒名をフル戒名で分れば予想はつきますが。
 尚、前述の院は戒名の格を意味する院号で、寺格の院号ではありません。

 まだまだ情報が断片的で絞り込めません。
 なお、家紋は何を使用していますか?

  • [4]
  • おはようございます

  • 投稿者:前田
  • 投稿日:2011年11月28日(月)08時47分49秒
 
返信ありがとうございます。
お寺は琴石山の近くの心光寺です。
祖父の名前は金一と申します。住所は柳井市大字柳井です。
国久という苗字から、尼子と関係していたのかな?などと身内で話していたりしたのですが、柳井の事にお詳しい方に尋ねてみた所、尼子との関係は考えられにくく、河野氏か若しくはその家老格であった岩政氏ではないかというお話をしていただきまして、河野氏などの事を検索していた所、此方のサイトに辿り着き、先祖の出自について何か教えて頂けたらと思い書き込みさせていただきました。
改姓原戸籍ですか。初めて知りました!一度調べてみます。
ちんぷんかんぷんな文章ですみません。

  • [3]
  • ようこそ

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年11月27日(日)19時12分49秒
 
ようこそお越しくださいました。
私の素人の断片的な返答しかできませんが・・・。
まづ質問の趣旨ですが先祖の出自が知りたいのでしょうか?
であるなら江戸末期までは簡単に分ると思います。
歌手の松島歌子が祖父の従妹であるなら簡単です。
松島歌子は山口県では高齢者にとっては有名です。
彼女は玖珂郡日積村出身(現柳井市)で、嫁姓は内海ですが旧姓は松重シマさんと思います。
大正13年の柳井高等女学校(現・山口県立柳井高校)の13回卒業生と思われます。
詳しくは柳井市の「松島歌子記念館」にメールで問合せすれば、彼女の三親等程度は知っていると思います。
松重は玖珂郡には多い名前です。
祖父さんの名前はなんといいますか?
前田は柳井近郊では多い姓です。旧姓の国久姓もわづかですが居ます。

お寺が心光寺とは琴石山の麓の浄土宗のお寺ですか?
なら祖父の実家の住所は分りますか?

旧柳井市街までは多分近いのでしょう?
先祖が院号戒名を持っていることと、大地主であったことと親族の松島歌子が女学校に上がっていることを
考慮すれば庄屋等の資産家一族と思われます。

まづ祖父の「改姓原戸籍」の入手をお勧めします。
江戸期より先はそれからとなります。



  • [2]
  • 表題の由縁は~奥の細道哉?!

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2011年11月27日(日)16時14分57秒
 
呑舟師、誠に伊予の河野氏の湯築城にては初めてのテーマでは無かろうかと
この題目に応答なされる御仁こそ・・・己々の家名を継ぐ諸々のご先祖を偲んで菩提を弔う仏心の尊き、方々のお出ましを気長に待ちしましょう。南無

  • [1]
  • はじめまして。

  • 投稿者:前田
  • 投稿日:2011年11月27日(日)07時01分56秒
 
兵庫在住の前田と申します。
祖父(明治33年生まれ)が、生前話していた故郷の山口県柳井市の事や、苗字、お墓にあった五輪の事を調べている時にこちらに辿り着き、何か教えていただけたらと、書き込みさせていただいております。

祖父の実家は柳井市にありましたが、幼少期(小学校高学年頃)に両親共に他界してしまい、親戚の家でお世話になっていたそうで、
成人してからはずっと関西で暮らしていました。
祖父の両親が亡くなってから実家は誰も住んでおらず、現在は竹薮になってしまっています。

お寺が焼けてしまったらしく、古い過去帳?は無いのですが、1700年頃からの先祖はお墓に記されていたようで、それを見ていると戒名が覚誉院・観月院・蓮乗院・願誉院・来誉院・成等院・兼誉院などと書かれています。
これはお寺と深く関わっていたという事でしょうか?

祖父の代の時にお墓を新しくしました。場所は心光寺です。
旧墓所は現在の墓よりもう少し山頂の山の中で、そこに五輪の塔のような石がたくさんあり、今もまだ地中に多く残っているみたいです。(旧お墓の写真ありますが、大きめの岩っぽい感じです)そして苗字の事なのですが、昔は國久だったようですが、明治に先祖が当時流行りだった苗字に改名したいという事で、その頃から前田という苗字に代わったようです。

祖父から聞かされた当時の思い出は、祖父自身が早くに両親と離れている為、少ないのですが・祭事?(詳しい事は分かりません・・)の時に神社の方が挨拶に来られていた。・父が馬に乗っていて、自宅~柳井市街地?間で自分の土地を通って行けていた。・歌手の松島詩子さんが従妹です。(何の手掛かりにもならないかもですが;)
・長刀などが家にあった。(満州から日本へ帰国する時に大変だったようで、そういった昔の物はその時にお世話になった現地の方達に差し上げていて、現在は何もありません。・生前祖父が信心していたお寺の集まりで、九州に代々お住まいの方と歴史や先祖の話をしたそうで、後にその方から手紙をいただいて、その方と祖父の先祖は昔に関係があって、お世話になりました。というような事が手紙に書かれていたようです。(父に何か手掛かりは無いか尋ねた時に教えてもらった話で、父もうろ覚え、手紙もありません)悲しいです。

こちらに書かせていただいた事は、全て孫の私や父などが昔に聞いた話ですので、聞き違いや、間違いなどもあるかもしれませんが、何か教えて頂ける事などがありましたら宜しくお願いします。

乱文お許し下さい。


レンタル掲示板

スレッド一覧

  1. お知らせ(11)(管理人 今城)
  2. 平岡氏の家系(37)(KenKen)
  3. 道後 義安寺(10)(呑舟)
  4. 伊予黒川家と正岡家(81)(呑舟)
  5. 芸州 河野家末裔たち(54)(呑舟)
  6. 丸に九枚笹(4)(つくね)
  7. 言葉の歴史(ことのはのときのながれ)(2)(呑舟)
  8. 河野系図異同は通信以降に始まった?(15)(呑舟)
  9. 予州 大野家について(133)(呑舟)
  10. 水軍フェリー、風前の灯火(5)(maru阿弥)
  11. 海賊のお話(29)(呑舟)
  12. 越智家・河野家家紋を考える(29)(呑舟)
  13. 越智河野氏の出自や如何に?(134)(管理者)
  14. 河野水軍と仏教(20)(岩崎山法栄寺)
  15. 湯月城リサイクル作戦(25)(呑舟)
  16. 再び「笹ケ峠の合戦」へ(40)(管理人)
  17. 牛福通直と平岡氏(51)(呑舟)
  18. 今城伊豆守通興の子孫たち(17)(伊豆守直系子孫)
  19. 戒名は難しい・・・・(6)(呑舟)
  20. 河野家文書を見る(5)(呑舟)
スレッド一覧(全43)  他のスレッドを探す  スレッド作成 掲示板に戻る

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成