• [0]
  • 海賊のお話

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 6月29日(火)05時49分37秒
 
久々に海賊について語りましょう。

海賊の歴史は判っているようで判っていません。
少し、過去の話を加味しながら談論風発とまいりましょう。

海賊は、Pirateか 水軍、Sea forceか?

いつどこで、なんのために発生したのか?

どのような発展をしてきたのか?

まだまだワンダーの世界です。

投稿数上限に達したので書き込みできません

  • [29]
  • Re: 信州の在~かもと?

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2012年 4月24日(火)21時58分39秒
 
呑舟師、何れの日にか・?!・是非弘法大師のお四国参りに来られる際には~同行二人よりは~湯築城下に集った多くの善人共々に伊予国の野球拳~土佐の国の大酒呑みの箸拳~讃岐国のうどんの美味と~阿波国のアホウ踊り~もお待ちしております。 南無

  • [28]
  • Re: 信州の在~かもと?

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月24日(火)19時52分56秒
 
お誘い有り難うございます。
四国は行きたい所が多すぎて困っています。
城主に松山屋敷への移転を希望していますが、事務方がそうはさせじと嘆願書を握り潰します。
かくなる上は暇乞いの後、車に夜具を積み込んで勝手気儘な旅を夢見ています。
最低一ケ月は放浪してみたいものです。
中学時代に四国を自転車で半周しましたが毎日12時間以上ペダルを漕いでいましたので四日で回ってしまい
ました。松山から土佐街道(33号)を抜けましたが三坂峠までの急な坂道は舗装もなく重い自転車を手で
押して峠越えをいたしました。峠を越えるまでは眼下に松山市街と遠く瀬戸内、周防までがいつまで経って
も見えていて何時になったら高知に着くのか心細い思いをしました。
ほとんどが野宿でしたので徳島では雨に祟られ、びしょびしょの中で田圃の中もモータ小屋でくの字になって
寝たこともあります。風邪をひかなかったは若かったからでしょうね。
今となれば楽しい思い出です。

なんとか四国行脚をしてみたいものです。

  • [27]
  • Re: 信州の在~かもと?

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2012年 4月24日(火)12時54分22秒
 
呑舟師、その卓越成された見識には誰しも頷いて居られるものかと。
伊予も~美濃とも~是非土佐と阿波の国にも機会があればお越し下さい。南無

  • [26]
  • Re: 信州の在~かもと?

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月24日(火)00時52分48秒
 
信州の呑舟は7年前です。松本城下で禄を食み、渡り鳥の小生は、其の後、小牧城下に移り、
その後、伊勢は月読宮隣りで庵を構え、伊豫史談会初代会長景浦氏が通った皇学館大学の
文書館に暇さえあれば行っていました。そこは、伊勢神宮の権威を使い全国収集した古文書や
古書がじかに手にとって見ることができる貴重な文書館でした。その後また草鞋を履き、今は
徳川家康の生母の実家地に寄宿しております。渡り鳥は足の向くまま気のむくまま、
明日のことなどケセラセラ!

  • [25]
  • 信州の在~かもと?

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2012年 4月23日(月)13時37分3秒
 
呑舟師、お久しぶりです。(昨今の湯築城下の城中の数々のテーマも殆んど師の導きかと)
想いを重ねて感じ取る所以は~御身の在り様を何時も?~はてな?と受け止め指せております次第也。
やっと~庵主の夢の中・導かれるままに・恰も現を抜かすに戒めながら~其れなりに目に留まることが出来ました。
今一度検めて~今後の伊予の歴史に御師のご熱心な諸説(歴史資料の集積)をお伺いすることも~夫々の立居地は違えども、日頃より頷くことも多く流石です。南無


  • [24]
  • 地名に見る伊豫人の縄張り

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月23日(月)12時06分12秒
 
私は伊豫に土地勘がないのでトイレの壁に愛媛県を真ん中にした諸県の地図(平成大合併前)を張って
用向きの時に眺めています。
何年も同じものを眺めているのに、今朝は些細なことに気がつきました。

海に突き出す「岬」を「鼻」と表現する所を拾い集めると、伊豫水軍の縄張りとそれに伴う伊豫人の居住地が
重なってきます。

伊豫国自体は殆ど「岬」は「鼻」であり。(一部岬表現は後世の表現か?)
南は高知県指宿市蛭子浜鼻まで入り込み、佐田岬は殆ど、東は新居浜唐猫鼻、因島は梶ノ鼻、江田島は椎ノ木鼻
能美島は大矢鼻、屋代島、平郡島、忽那七島は大半、山口県室津半島半分、村上水軍基地上関は赤石鼻、同じ
村上水軍基地、大分県姫島桂岳鼻 等が見受けられる。

大雑把な地図でこの程度拾えるのであるから、詳細な地図だともっと広がると思われます。

鼻(ハナ)は端(ハナ)の転化で「岬」と同義語と思われ、伊豫水軍(伊豫人)が通常使って
いたと思われますが、隣接する、讃岐、土州、豊後、周防、安芸、備後の大半は「岬」です。

故宮本常一先生がご存命なら明快な解説をしてくれるのでしょうが・・・・。

なにげないものにも歴史があるものです。

  • [23]
  • 海賊と海民

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年 9月23日(金)01時57分39秒
 
以前にも話題になったことですが、海賊は海民とする見解と海賊は海賊とする見解がありましたが、私は当初より海賊は海賊(Pirate)が生業とする立場です。水軍(Sea force)として機能し始めるのには相当時間がかかって
います。が、水軍時代も海賊行為(Pirate)は行われていました。
象徴的なのが小舟一艘かっぱらっただけで、秀吉から「海賊禁止令」を出されました。
小舟一艘の窃盗も海賊行為です。
駅前の自転車一台拝借して家まで乗って帰ったら一族郎党死刑になったようなものです。

よって海賊と水軍は時代的背景により呼称が変わっただけと思います。

これに対し海民なる平和的イメージの言葉が一人歩きしています。
「海民」なる造語を作製したのは網野善彦氏と記憶します。
彼が「海民」なる言葉を使用したのは、漁業・製塩・廻船等の海労従事者も
江戸時代に「百姓」として位置づけられ、百姓の本来の意味は違うが
我々が百姓=農業従事者との思い込みから海労従事者(旧分類百姓=農民)と
分けるための造語のようです。

最近面白いなと思ったのは倭寇侵攻処理の解決のため1420年(応永27年)に
朝鮮の使節が韓半島から京にくる時の旅日記「老松堂日本行録」があります。

この記録には「壱岐を出ると海賊が常に付けねらっている、これが摂津まで続いたがこの時、我々は金を払っていたので襲われることはなかったが、そうでない場合は身ぐるみはがれるそうで、ある港では襲う話をひそひそとしていた」などと記録している。

この記録について民族学者宮本常一氏はこの記事を引用し瀬戸内海賊は本来の収奪が生業であるが、通行料制度を利用した人は収奪を免れたとの見解である。

同本の同じ部分の解釈を宮元常一氏の弟子である網野善彦氏は平和な海民たる海賊
が通行料を払わなかった場合に限り懲罰として停船を命じ罰金として積荷を没収することがあったとし、まるで高速道路の料金所を突破して白バイに追いかけられて高額な違反キップを切られたかかのような表現である。

なぜこうも同じ文書の同じ条の解釈が違うのか分らない。

推測するに海彦さんと山彦さんの見解の相違のようである。
ご承知のように宮本常一氏は海賊島とも呼ばれる周防屋代島生まれで、汐水で産湯
を使ったような海の子であり、周りは村上水軍、河野水軍の末裔だらけの中で育っている。片や網野善彦氏は海の無い山国(山梨県)で生まれ育った山の子である。
瀬戸内海に初めて訪れるのは研究のため忽那島のニ神家来訪が最初であるとしている。
よってニ神家も海民の末裔と思っている。

となると村上水軍も河野水軍も海民であり通常は漁業をしたり、塩焼き(製塩)をしたり島から島へ物を売り歩くことを生業として一部の人が海関を作り通行料収入を得ていたとされる。
まさに平和な海の民そのものです。

これが実態とは私はとても思えません。

ニ神水軍、村上水軍、河野水軍は漁業協同組合の組合員ではありません。


  • [22]
  • 来島海峡、巨大船オンパレード

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)11時53分18秒
 
15日の来島海峡、巨大船がよく通ります
15万トンも通過しますねー
あと、10万トン台、3隻
8万トン台多数

来島海峡を通過出来るのも
伊予水軍のなせる技ですなー

  • [21]
  • Re: 世界6パーセントの造船量と西条に50万トン級造船所

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月12日(月)21時42分19秒
 
>>20
> 世界6パーセントは、造船量にも
>
> 荷さばきに関しても、外国船籍の情報が把握出来ていないため
> はっきりとしたパーセントが出ていないとの事ですが
> 少なく見ても4パーから6パーの世界の荷物はさばいているようです。
>
> 今治造船の造船量は、日本トップ、世界第4位で
> これまた、世界の造船量6パーセントを建造
> 西条の今治造船所は
> 20~30万トンを通り越し
> 50万トンまでのULCCを造船可能
> さて、納品時にどのルートを通るのやら、心配ですなー
>
> 20~30万トンのVLCCは
> 最大吃水 21mということでありますが
> 伊予水軍がナビゲートすれば大丈夫でありましょう
>
> 今治造船のハイテク技術のお陰で数年先まで世界中から予約が満杯
> タンカーの耐久年数の関係から造船ラッシュ
> 安全基準の要求が高くなった関係もあり日本の造船所へ注文が殺到
> 今のところ、バラ色のバイキングのようでありますよー

●そうですね・・・・。
 そうなれば善いのですが。かっての日本は造船は世界シェアの大半を握っていました。
 今は20~30%が関の山です。
 低賃金と日本の技術を元にまず韓国がシェアを奪い、現在同様なことが中国で起こって
 います。家電や半導体の世界でも同様なことが起っています。

 造船不況は多くの造船所を統廃合を促し、現在18グループぐらいしか残っていません。
 ご案内の今治造船は第2位の地位に現在あると思いますがまだまだ力不足と思います。

 日本の造船技術そのものは今でも世界一と思われます。
 船底の二重構造技術と低燃費の船を作る技術はまだ競争力を持っています。

 しかし、この技術者一人をスカウトすれば、かっての半導体のようにアット言う間に外国 に追いつかれます。

 船の寿命は20年とされてますので、10年ぐらい経つものから順次船主は中古船として
 売出しをはじめます。その更新期が現在来てますので活況を見せているように見えるだけ です。

 3年以上先の注文を取って船台を埋めるのは造船所の営業部長の仕事です。
 よって3年を割ると造船所の危機なのです。
 受注から納品まで1~6年かかる造船業界の宿命でトヨタが3年先までレクサスの受注
 を抱えたというのと意味が違います。

 確かIHIが100万トンドッグを有明に20年以上前に造ったと思いますが、
 一度もこのクラスの船は造られませんでした。
 注文がなかったのです。

 今、日本の造船業界が抱える最大の問題は、プロの職人の高齢化と退職で
 コンピュータがいくら解を出しても実際に作れる人間がいなくなりつつあること
 です。
 トン当たり35万円以下でつくり為替変動を睨みながら利益をだそうとするのですから、
 労働集約産業の造船業ではとても辛いのです。

 今治造船も資本金10億円弱会社ですので、財務上の余裕はありません。

 よって日本造船工業会が云うようにまだまだバラ色ではないと思われます。

  • [20]
  • 世界6パーセントの造船量と西条に50万トン級造船所

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月12日(月)18時51分40秒
 
世界6パーセントは、造船量にも

荷さばきに関しても、外国船籍の情報が把握出来ていないため
はっきりとしたパーセントが出ていないとの事ですが
少なく見ても4パーから6パーの世界の荷物はさばいているようです。

今治造船の造船量は、日本トップ、世界第4位で
これまた、世界の造船量6パーセントを建造
西条の今治造船所は
20~30万トンを通り越し
50万トンまでのULCCを造船可能
さて、納品時にどのルートを通るのやら、心配ですなー

20~30万トンのVLCCは
最大吃水 21mということでありますが
伊予水軍がナビゲートすれば大丈夫でありましょう

今治造船のハイテク技術のお陰で数年先まで世界中から予約が満杯
タンカーの耐久年数の関係から造船ラッシュ
安全基準の要求が高くなった関係もあり日本の造船所へ注文が殺到
今のところ、バラ色のバイキングのようでありますよー

  • [19]
  • Re: 世界の6パーセント以上の荷さばき

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月12日(月)13時04分50秒
 
>>18
> 造船だけではないですなー
> 海運がまた、すごい
> 今治や伊予の海運は、表面に出ているだけでも日本の30パーセントを動かしているらしいが
> 日本の海運は、世界の20パーセント
> 今治の海運は、世界の6パーセントの荷物を動かしている
> 電話とファックスだけの個人企業で
> 何十万トンの船を動かし、稼いでおりますなー
> 日本の国籍にしていると、税金が高いので他国の国籍にしているものだから
> 現状が把握しずらいとか
>
> 伊予バイキングの末裔たちは
> 現代も、世界を動かしておりますなー

●そうですね・・・
 でもあまり稼いでいると言う景気のいい話は聞きませんが。
 私の知り合いにも一杯船主(三杯所有してますから三杯船主ですか?)がいますが
 結局大手海運会社の安い船貸料でかつかつのようです。
 大手の日本郵船やOSKあたりも荷主に運賃を叩かれ楽ではなさそうです。

 仕方ないので便宜置船籍(FOC)にしてパナマ、リベリア、バハマのタックスヘイブン
 を利用してチャーターバックして船員を人件費の安い外人に入れ替え運行コストを
 削減して現在に至ってますので実質 日本の船が日の丸を揚げず、外人で運航し、貿易立 国日本を支えるいびつな構造になっています。

 この制度の導入に一番怒ったのは首を切られる日本の船員達で、当時 日本最強の単一
 労組「全日本海員組合」でたしかストライキを打ち、全国の港では「出航できない 荷揚 げできない、入港できない」船が溢れ返ったと記憶します。
 日本経済は大打撃で、仲裁に確か時の総理大臣がでて来たと記憶します。


 その後も少しづつ資本の論理が優先し、日本船員は減っていきます。
 七つの海を夢みた日本のバイキングを育てた、東京商船大学、神戸商船大学は、併合ある いは吸収されて見る影もありません、五つあった商船高専も近頃は電子計算機学科を加え
 男の城に女まで入れて定員維持を図り、卒業後は半分以上 陸(オカ)に上ります。
 海の待遇がよくないからです。

 村上水軍末裔達を受け入れたのは、五つの商船高専のうち、大島、広島、弓削の商船学校
 で瀬戸内海に集中します。残りは鳥羽と富山です。

 これより下のクラスが「海員学校」だったと思います。

 よって日本のバイキングは船主も船員もあまりばら色ではないのです。

 尚、日本のFOCはすべて把握されてます。国税庁も頑張ってます。

  • [18]
  • 世界の6パーセント以上の荷さばき

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月12日(月)10時07分41秒
 
造船だけではないですなー
海運がまた、すごい
今治や伊予の海運は、表面に出ているだけでも日本の30パーセントを動かしているらしいが
日本の海運は、世界の20パーセント
今治の海運は、世界の6パーセントの荷物を動かしている
電話とファックスだけの個人企業で
何十万トンの船を動かし、稼いでおりますなー
日本の国籍にしていると、税金が高いので他国の国籍にしているものだから
現状が把握しずらいとか

伊予バイキングの末裔たちは
現代も、世界を動かしておりますなー

  • [17]
  • Re: ボケがきましたな

  • 投稿者:今城メール
  • 投稿日:2010年 7月10日(土)20時46分9秒
 
>>16

> アーヤダヤダ年は取りたくないものだ。

 いや、同感。年だなと感じることが、年々増えてきます。ヤダ、ヤダ。

  • [16]
  • ボケがきましたな

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月10日(土)20時10分42秒
 
大和も長門も武蔵も陸奥も頭のフャイルがごちゃ混ぜになってきましたね。

アーヤダヤダ年は取りたくないものだ。

  • [15]
  • スペインーオランダ因縁の対決

  • 投稿者:今城メール
  • 投稿日:2010年 7月10日(土)16時40分51秒
 
 サッカーW杯南ア大会の決勝戦はスペインとオランダで争われることとなりましたが、これは因縁の対決ですね。

 かってオランダはスペインに支配されていました。当時スペインは"太陽の沈まない国"と強大さを誇っていましたが、1588年にスペインの無敵艦隊がドレーク提督率いるイギリス艦隊に大敗し、大西洋の制海権を失いました。この敗戦の打撃は大きく、スペインは衰退に向かい、オランダの独立を許すことになりました。

 ここに登場するイギリスのドレーク提督とは、元は私掠船或いは私拿捕船と言う公認の海賊船の船長で、大西洋航路と海戦術に長けた人物。このような人物をイギリスは巧みに使い、スペイン無敵艦隊を壊滅させました。

 さて、21世紀のスペインーオランダの対決はどうなるか。

  • [14]
  • Re: 伊予灘を快走する戦艦大和

  • 投稿者:今城メール
  • 投稿日:2010年 7月10日(土)14時29分11秒
 
>>13
> まあ軍艦ですから交通規制をして上下を一方通行にして真ん中を突っ切れば物理的には
> 可能だと思いますが。

 そうでもしないと危ないのでしょうね。

> 真珠湾への攻撃命令「ニイタカヤマ ノボレ」は柱島泊地の大和から打電だったと思います。

 長門でしょう。大和が就航したのは開戦日を少し過ぎてからだったと記憶します。

> また、同泊地で終戦直前に謎の爆発を起こし沈没したのは姉妹艦戦艦陸奥でしたね。

 陸奥は長門の姉妹艦、大和の姉妹艦は武蔵です。

> どちらにしろ便乗して船長に聞いた時は昭和30年代ですから、もちろん自動操縦の機械は
> なく大きな舵を手で操船してましたので来島を通る時は船長以下、一等、二等もぴりぴり
> してブリッジに居たと記憶します。ブリッジの外に張り出した見張り台で舷の位置を確認
> する担当もいましたね。

 来島海峡を通るのはさぞ大変だったでしょうね。今でも船が島に衝突する事故があるそうです。

  • [13]
  • Re: 伊予灘を快走する戦艦大和

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)21時05分14秒
 
> > 戦艦大和は、たしか7万トン、伊予灘を走っているのをよく見かけたと
> > 知人が、ゆうちょりましたなー
>
>  呉から出て、伊予灘、豊後水道を通って太平洋に向かうのでしょうね。
> あんなでかい艦は来島海峡を通れるのでしょうか。潮の向きによるので
> しょうか。

●来島は通らないのではないですかね?

まあ軍艦ですから交通規制をして上下を一方通行にして真ん中を突っ切れば物理的には
可能だと思いますが。

確か、戦艦大和は呉鎮守府に属し専用の泊地は大島沖の水深が深い柱島泊地だったと記憶します。
太平洋に出て行くには伊予灘を通り豊後水道を通りますね。

真珠湾への攻撃命令「ニイタカヤマ ノボレ」は柱島泊地の大和から打電だったと思います。アリューシャン南方に集結していた太平洋艦隊、及び輸送船団は一斉に真珠湾に向います。
また、同泊地で終戦直前に謎の爆発を起こし沈没したのは姉妹艦戦艦陸奥でしたね。

確かに菊間あたりで大型タンカーを降ろしますが来島の方には行かず西下するのでは?

しかし、日立造船因島工場で10万トンクラスのタンカーを降ろした時の進水式に立ち会った
ことがありますが、あれは何処を抜けて太平洋に出て行ったのでしょうか。

専門家ではないので、よく分かりませんが、貨物船(混載船)とタンカーでは喫水線以下が
違うのかも知れません。タンカーは所謂船底がたいらのたらい船ですから大きいですが深さはあまり有りませんね。

どちらにしろ便乗して船長に聞いた時は昭和30年代ですから、もちろん自動操縦の機械は
なく大きな舵を手で操船してましたので来島を通る時は船長以下、一等、二等もぴりぴり
してブリッジに居たと記憶します。ブリッジの外に張り出した見張り台で舷の位置を確認
する担当もいましたね。

今はGPSで寝てても勝手に走ってくれますが。
当時は1万トンクラスで乗組員が80人ぐらいいましたが、今は30万トンのタンカーでも
十数人で操船し船長、機関長以外はフィリピン人等の外人ですね。

愛媛県には水軍時代の名残か造船所も多く、また一杯船首も多くいて 今でも大手海運会社
にリースして生計を立てていると思います。菊間あたりはこの一杯船首が多いと聞いています。

  • [12]
  • 菊間沖や西条沖にも20~30万トン級のタンカーたち

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)13時42分31秒
 
今治は日本最大の造船地
ひょっとして、世界トップかも
VLCC、20~30万トン級のタンカーをどんどん建造しておりますよ
菊間沖にも、バースが延長され
20万トン級のタンカーがよく、来ています
西条でも20~30万トン級のタンカーの造船ラッシュ
倭国のバイキングの末裔たちは
現代の巨大タンカーの受注で儲けておりますよー

  • [11]
  • 思い出させないで下さい!

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)13時00分49秒
 
海賊も・海軍も・・海族の誉れを生き甲斐に~瀬戸内と桂浜沖を漂った水軍丸船長の夢を。(大笑い)
唯一、平水区域を越えることが不可能な船長免許にて候也(お恥ずかしい)
音戸の瀬戸も、赤間の関も~日振嶋には海路訪れたこと無し!・残念にて候
戦艦大和の勇姿も見たことが有るとすれば、庵主の兄貴・昭和八年生まれ(酉年)以前の御仁かと?本人は船のプラモデルを未だに眺めて居ります。
航行に最も必要なデーターは、水深の情報ですね!
今であれば。海図も常備・深則計も、オートパイロット機能も、天測の要も無くGPSにて現在地と進路をセットすれば、居眠りも(失礼)~転寝(重ねて御免)も、偶には一瞬あっても突発条件が生じなければ安全運航が出来ることも有ろうかと推測します(御免~海難事故防止の規則違反の言動だった)
だけれども昔々のその昔~海の民の先祖代々~培われた~海技免許は、他に憚ることも皆無!・・巧みの技(秘術)であったのではと・・夢見る想い也

  • [10]
  • Re: 伊予灘を快走する戦艦大和

  • 投稿者:今城メール
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)12時08分28秒
 
>>9

> 戦艦大和は、たしか7万トン、伊予灘を走っているのをよく見かけたと
> 知人が、ゆうちょりましたなー

 呉から出て、伊予灘、豊後水道を通って太平洋に向かうのでしょうね。
あんなでかい艦は来島海峡を通れるのでしょうか。潮の向きによるので
しょうか。

  • [9]
  • 伊予灘を快走する戦艦大和

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)10時37分23秒
 
めいも、ソマリア沖の海賊に悩まされて
しょっちゅう、文句を言っておりますが
こそ泥も結構いるそうで、ちょっとしたロープも盗んでゆくとか

戦艦大和は、たしか7万トン、伊予灘を走っているのをよく見かけたと
知人が、ゆうちょりましたなー
大和の基地は呑舟さんのお近くでは?

  • [8]
  • さすが水軍丸船長・・・

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 9日(金)09時09分58秒
 
私も数十年前に神戸から九州へ1万トンクラスの貨物船に便乗して瀬戸内海を西下したことがありますが、来島海峡が一番怖かったですね。
目の前に岸の岩礁が迫り、今にも船底がガリガリ音を立てて浸水するのでは
と思いました。
船長曰く、瀬戸は狭いけどV字型に切れ込んでいて深さはそこそこあるとの
ことでしたが、1万トンまでが限界でそれ以上は高知沖を迂回するとのこと。
不慣れな船長は1万トン以下でも高知沖に迂回すると言ってましたね。
迂回すると距離が出て、重油代が百万円単位で嵩だかになるので、船会社の
営業は嫌がるそうですが。
チャートを見ると確かにV字ですね。

逆にマラッカ海峡は日本の生命線ですが、海底が浅く、下手な船長はしょっちゅう座礁します。

以前同海峡のチャートを見せてもらったことがありますが、10万トン以上のタンカーがアラビアから油を満載して日本に帰ってくる時は喫水線が下がり船底と海底との差は最小1Mに満たない所があるとか。

漁船に毛が生えた程度の海賊船に今も襲われてますが、彼等は大型船が逃げ場がないことを熟知した上で浅瀬に追い込もうとします。

鯨を追い込む日本の沿岸漁師のようです。

腹いっぱい油を飲みこんでよたよたと帰っている途中で 自動小銃を乱射しながら襲われるとなんともなりません。

聞くところによると大型船を狙うのは船内に積み込んである当座の金(約数百万円)の強奪で、渡すと「アリガト」と言って帰っていくのが殆どだそうです。

タチが悪いのは中型船を襲って乗組員をボートの乗せ替え、自らのクルーで
船も荷物も持って行き、荷物は闇で売りさばき、船は船名を変えて、善意の
第三者に売ってしまいます。

この場合善意の第三者はいるはずはありません。
全世界の一定規模の船の船籍はイギリスのロイドが管理していたと記憶しますので、無国籍船は通常売買は出来ないのですが、開発途上国には日立のエンジンを付けた欧州系、韓国籍転売船が散見されるとか?
ありえない話です。

この場合の日立は日立製作所ではなく旧日立造船の意味です。

今も海賊は頑張っています。

  • [7]
  • 海の民(海族)の定理は~自然に同化するデーターの技なり

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2010年 7月 7日(水)12時37分51秒
 
呑舟師、ハードウエザーの波の最中に身を置いて・・幾度か操船の技の選択を余儀なくされたことも屡なり。(最初のうちは心細い・・次第に業を積んでこそ(経験)・・安全航海が・・巧みに為って参ります)
鳴門海峡も来島海峡も・・経験済みです・・大三島には3ルートの海峡通過を経験しました。
其の中で一番潮待ちに気を使ったのは矢張り鳴門海峡でしたよ!
今でこそ、潮汐データーが簡単に手に入り~GPSやレーダーを装備する船舶で~馬力のある船なれば余り昼夜を気にせず運航するも差し支えないものかと考えます。(昔は風待ちや~山たてや~天候を安全航海の必要条件であったものと)話せば数々の思い出が甦りますね~。 南無

通信

  • [6]
  • ヨーロッパの歴史は海賊の歴史

  • 投稿者:maru阿弥メール
  • 投稿日:2010年 7月 6日(火)11時02分40秒
 
デーンマーク、イングランド、オランダ
ノルマン人やデーン人の海賊たちが築き上げた国々
ヨーロッパ史は
海賊史を抜きには、語れません
海賊は、進取の気性に富みますから、
現代の先進国は、すべからく、
海賊的進取の気性に富んでいるものと思われます

  • [5]
  • 古代の海の民の集団

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 5日(月)19時09分17秒
 
むかしの神様の世界では海を司る担当は「日本書記」によると
速秋津日命(はやきつひのみこと)とされる。

その後、やそまがつひのみこと、かみなおひのかみ、おおなおひのかみ、の三神が生まれ、それから、そこつわたつみのみこと、そこつおのみこと、なかつわたつみのみこと、なかつおのみこと、うわつわたつみのみこと、うわつのをのみことの合計9神がうまれたとされる。

住吉社の大神たちである。

さらに後にわたつみ神の連として阿曇連(安曇)が統括する。
この一族は金印の発見で有名な福岡県志賀島から長野県安曇まで分布する。

長野の山奥の穂高神社(穂高町)には海民族を由来する「お船祭」の神事を
伝承している。

  • [4]
  • 渦潮逆巻く瀬戸を横切るには・・・

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 4日(日)16時07分34秒
 
庵主様、22フィートのモーターセイラーのオーナーでしたか?
なんとも羨ましい。その気になればロスアンジェルスまで行けますね。

さて庵主様なら渦巻く瀬戸を横切る一番安全な方法はご存知だと思いますが
私どもは子供の時から急流の瀬戸に近寄ってはならない。ましてや泳ぐことは死を意味すると教えられました。

そうなると逆らいたくなるのが世の常で、ある、巾が800Mある瀬戸で対岸まで渦潮逆巻く中を泳ぎきる者はいないかとなり、命知らずが考えだしたのが、干潮、満潮の潮の流れが逆流するまでの間(約25~35分)は潮が止まり、またゆっくりと逆流が始まります。
この時しか安全に渡ることが出来ません。
しかし恐怖です。いつ渦巻きが始まり海中深く引きづり込まれるか分からないからです。小船でも同じです。
大きい船はローリングの後、横転します。

私は瀬戸を泳ぎ渡ったことはありませんが、一番瀬戸が狭い所(最急流地帯)で泳いだことはあります。岸から3Mが関の山です。5M沖ですと海中に引き込まれます。約10秒で50M流されます。まさに激流です。

立ち泳ぎすると心臓から上は表面水温ですが、心臓から腰までは水温が低く
そこから下はもっと水温が低く、とても気持ちが悪く心臓麻痺を起こしそう
でした。

『良い子は瀬戸では遊んではいけません!』

よって、干満の一時期の潮止まり時が比較的安全と言うことで・・・。

  • [3]
  • 水軍丸船長の思い出は

  • 投稿者:海遊庵主
  • 投稿日:2010年 7月 4日(日)09時02分17秒
 
呑舟師、何方も便りが無いのが寂しいですな!
水軍丸も歴代5隻でした・・8ポイントの手漕ぎボートから~22フィートのモーターセイラーまで~瀬戸内は大三島~鳴門海峡を越えて~紀伊半島潮岬まで~海の仲間と航海しましたよ!(想い出は山の様です)
穏やかな瀬戸内も、ある時は荒海にて波高し~・また・鏡のように穏やかに楽な航海も有りましたよ。
小豆島に庵を構えてからは、水軍丸5世も後輩に譲りて、昨年は小型船舶操縦士の免許を継続せず・・小豆島の大部の湊からの陸釣りにのんびりと釣り糸を垂れて居ります。 海賊とは縁遠い穏やかな日々なり・・南無

  • [2]
  • 古代の移動

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 4日(日)06時29分30秒
 
陸地内なら分け入っていけますが、大人数が移動するには陸路がないと大変。
海路なら真っ直ぐ進めそうだけど、潮の流れが分からないと進めない。
月の引力で潮の満ち干が変わるのだが古代人がどこまで理解していたか?

経験的に決死の覚悟だったのでしょう。

来島海峡や鳴門海峡を手漕ぎの伝馬船(ヨットならディンギーかフィン級)
で渡れと云われれば貴方ならどうしますか?

庵主様の小豆島の持船ほどの大きさはありません・・・。

  • [1]
  • 組織的な海民の始まり

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2010年 7月 4日(日)06時02分42秒
 
我が国の「海の民」(後の海賊、水軍)の起源は「神武東征」の時に遡るとされます。

日向(宮崎県)を出て、大和(奈良県)にたどり着くまでが殆どが海上移動
である。この時の舟(丸木舟?)の漕ぎ手と水先案内人が歴史上は組織された「海の民」の起源でしょう。
この東征には数年かけていますから、目的地が最初から大和と決まっていなかったのと、同一の海の民が最後まで同行したのではなく、それぞれの区域
を尺取虫のようにリレーしていったと思われます。

当時のルートによると日向から海岸沿いに北上し豊後水道を抜け、関門海峡
から玄海灘に出て北九州(芦屋)まで行っていることは根拠地を北九州に
置こうとしたのではないでしょうか?
途中、宇佐に寄っていますが、寄港したと云うより土地の部族に受け入れを
拒否されてのではと思います。

仕方ないので、又関門海峡をもどり今の山陽道の海岸沿いに安芸・吉備・白肩(摂津あたり)と東上します。
途中吉備の高島宮で三年も過ごしています。

帆の無い時代ですから潮の流れに逆らって進むことは出来ません。
ですから、東上は、潮が西から東に流れる時しか出来ません。
小船ですので岸から離れることも、見えない夜間航行することもできません。
岸近くの水面下の小さな岩礁の位置は現在でも地元の漁師しかわかりません。
このルートで屋代島の大島の瀬戸を通過したことになってますので、潮が東に流れる(1日2回)時に一気に通過したか、岩礁を気にして海岸から舟を
曳きながら通過したと思われます。

総勢何人いたのかは不明です。


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