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  • 言葉の歴史(ことのはのときのながれ)

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 6月 3日(日)10時23分2秒
 
我々、現代人は現代の常識及び素養と個人的な見解により勝手に言葉の定義をしがちです。
歴史を扱うときはその言葉の当時の意味と現代の意味の違いを認識しないと思わぬ落とし穴
(ミス)をしてしまうことに気がつきました。
 先人の言葉に耳を傾け「温故知新」といたしたく思います。

???と思われる「言葉(ことのは)」を「あれ?」と思ったときのスレッドとして
使用したいと思います。どなたもドンドン投稿してもらえればと思います。

現代と意味が違うもしくはニュアンスが違う「同言葉」を投稿して貰えば共通の時代認識が生れると思われます。

投稿数上限に達したので書き込みできません

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  • 悪の意味

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 6月 4日(月)12時03分29秒
 
昨日のNHKドラマ「平清盛」のエピローグで藤原頼長を「悪左府」と別称されたとしました。

この「悪」とはなにか?

現代では「悪」とは 「わるいこと」の認識ですから「悪党」とは「わるいひとたち」とされます。

ではこの「悪左府」は「わるい大臣」の意味かと言えば違うようです。

古い時代の「悪」とは既存のルールや体制に「異議を唱える人達」を意味するようです。
よってこの場合の「悪左府」は「改革を推し進めようとした大臣」のようです。

同様なことが「悪人」の表現にも見られます。
現代では「悪人」とは「わるいひと」ですが、平安末期の古文書の「悪人」は「荘園制度」に反対
するレジスタンスのようです。この表現は鎌倉・室町期でも引きつがれます。

古くは「悪」には「反抗・抵抗・強大」の意味があったようですが、体制派の人達にとっては
「わるいひとたち」に意味が転化していったのでしょう。

現代の常識で判断すると間違えます。
歴史用語は難しい。

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  • 瀬戸内海と瀬戸内外

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 6月 3日(日)11時44分56秒
 
私は現在の近畿、中国、四国、九州に囲まれた内海を瀬戸内もしくは
瀬戸内海と思っていました。

御園生翁甫先生によると、どうも「瀬戸内」の言葉を使ったのは
「伊豫人」のようです。

瀬戸とはご承知のように岬と岬が突き出して狭く、日2回の月の満ち干に
より激流となる航海の難所を『瀬戸』と瀬戸内の民は認識します。

瀬戸内海に面していない県民はあまり意味をしらないのも事実です。
昔の流行歌「瀬戸の花嫁」は「島の花嫁」程度の意味としています。

ではこの瀬戸とは何か?
瀬の戸、(とてもせまい)と表現したのは、海民たちと思われます。

御園生先生はこれは芸予諸島の瀬戸でそこに住んでいた伊豫海民の
言葉と想定します。

具体的に瀬戸内と瀬戸外の境は大崎上島、大三島間の間でその瀬戸以東を
「瀬戸内」とし、その以西、斉灘、周防灘は除外されこちらは
「瀬戸外」とされます。また瀬戸の以東でも播磨灘は内にされず
「瀬戸外」とされるようです。

これはいつの時代の事かは分りませんが鎌倉・室町時代以前の認識と
思われます。

伊豫海民は「瀬戸内」は安全で「瀬戸外」は安全外との認識で区別して
いたらしいとされます。これは航海上の物理的な安全と解されていて
後に航海術が発達し現在の「瀬戸内海」全域が安全地域となったので
瀬戸内海の呼称が現代風に広がったと説明します。


私は、
この流れを地図に落として眺めてみると、面白いことに気がつきました。

瀬戸内とされる地域は三島村上海賊の初期支配海域と同じです。
現在の「しまなみ海道」の左右ですね。

東の「瀬戸外」は塩飽海賊や紀淡海峡らは熊野海賊の支配地です。

西の斉灘や周防灘は、忽那海賊や宇賀島海賊の縄張りと合致します。

上記お流れから「瀬戸内」と表現したのは村上海賊達と思われます。
早くから河野家へ臣下の礼をとる「忽那海賊」支配地を「瀬戸外」と
したとするなら、忽那と村上が友好関係にない時代の表現とも考えられます。これは村上家と河野家が密接ではない時代の傍証とも言えます。

塩飽海賊とは村上海賊は仲良しではないようです。

熊野海賊は源平の合戦で義経に援軍しますが、河野水軍は屋島の戦いの
状勢を見て義経に加担したとされますのでこちも仲良しではないようです。

西の宇賀島海賊は長州大内氏に属していたとみられ、厳島合戦で村上海賊
に敗れて霧散します。

よって「瀬戸内海」の現在の範囲は戦国末期以降の概念ではないかと
思いますが、詳しいかたお教え願います。


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