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Re: 阿波富田荘とはどの範囲?

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月25日(日)11時29分57秒
  > No.3449[元記事へ]

  今城さんへのお返事です。
再々の追伸の義、これも以前にお送りさせていただいた、讃岐の国寒川郡内(現さぬき市)の地図をお送りしておきますのでご参考に見てください。南無
 
 

Re: 阿波富田荘とはどの範囲?

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月25日(日)11時21分27秒
  >  今城さんへのお返事です。
> 重ねて追伸の義、以前にも、媚山の麓・佐古の町筋に交わる北東の位置には、通久の勧進に由来する三島神社在り。その写真も再びお送りしておきます。南無
 

Re: 阿波富田荘とはどの範囲?

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月25日(日)10時54分50秒
  > No.3447[元記事へ]

今城さんへのお返事です。
追伸の義、讃岐の国の古地図(江戸時代)をご参考までにご紹介させて頂きます。
今の郡名と古の地名はことなってますので、是非比較してご覧下さい。
 

Re: 阿波富田荘とはどの範囲?

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月25日(日)10時35分28秒
  > No.3446[元記事へ]

今城さんへのお返事です。

真に仰せの通り~阿波にも・讃岐にも冨田之庄在り!・・・概ね度々尋ねて居りその関連の古の経緯も庵主なりに想いを重ねております。
阿波の国には、媚山の東側一帯には、今の町名にその名残の富田町在り~直その媚山の麓には「通久の勧進の三島神社」在り~その西側には阿波の石井町が開けております。
讃岐の国の庵主の庵の在所さぬき志度の近隣(旧大川郡内)さぬき市の内には源平合戦の折・義経の阿波から讃岐の国へ入って~引田から~白鳥~大内~田面峠を越えて直ぐに、古郡・寒川郡に富田の庄在り~その地には、今は廃寺の古史跡「長福寺」の発掘調査から出てきたのが、以前にご案内させていただいた「鎌倉時代の五輪の供養等」が今は、地元の歴史資料館に展示されて居るのですよ!。
地元の町史にも、嘗て伊予の河野氏の地頭職の存在を記されており~この道筋は敢えて伊予の国では当らず触らずの感が否めないのでは~かと。南無
 

阿波富田荘とはどの範囲?

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月24日(土)22時48分56秒
  海遊庵主さん

 阿波富田荘とはどの範囲でしょうか。今の市町村名で言うとどことどこになるのでしょうか。

 「富田」は徳島市にあり、さぬき市にもありますね。富田荘は阿波と讃岐に跨った相当に広い荘園だったのでしょうか。河野通久は「阿波富田荘」を貰ったと記されていますが、富田荘のうち阿波に属する部分を貰ったということでしょうか。そうであったとしても、後に移った先の石井郷より随分大きいように思います。

 詳しく書かれたものは無いのでしょうか。
 

Re: 甲子園で河野が決勝打

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月24日(土)17時15分3秒
  > No.3442[元記事へ]

今城さんへのお返事です。

いやいや~庵主も昨今・・同じような事が暫しばです・(笑い)
例えば、前文にても「藍住城」は間違いで~正しくは藍住町の「勝瑞城」跡ですから!・御免~爆笑。







 

Re: 甲子園で河野が決勝打

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月24日(土)15時13分7秒
  > No.3439[元記事へ]

 どうもいけません。また変換ミスをやらかしました。済みません。

 鳴戸(誤) ==> 鳴門(正)
 

Re: 甲子園で河野が決勝打

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月24日(土)14時33分11秒
  > No.3439[元記事へ]

今城さんへのお返事です。

重ねて、阿波の国・富田庄(媚山の麓)と細川・三好氏の居城藍住城跡の藍住町と~北島氏の在所北島町と~この度の鳴門高校の選抜選手のヒーロー・河野君の鳴門市は、ご覧の通り隣接する地域ですね!
 

Re: 甲子園で河野が決勝打

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月24日(土)12時59分15秒
  > No.3439[元記事へ]

今城さんへのお返事です。

>  甲子園で鳴戸が洲本を破りました。
>  10回裏、二塁ランナーの後藤田を迎え入れる決勝打を放ったのが河野(かわの)。うーん、承久の変の後、一時富田荘に居た河野氏の子孫でしょうか?
見てましたよ!~かわの「河野」祐くんの打席・・お見事です。
鳴門も北島も~藍住古城の縁・領地~河野・細川氏(小笠原氏~三好氏共に時代に沿って)の阿波の国の縁者かも?・・洲本も残念惜敗の義~一遍上人も両者の応援に惑われたとか?目出度し観なり。南無
 

甲子園で河野が決勝打

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月24日(土)12時27分25秒
   甲子園で鳴戸が洲本を破りました。

 10回裏、二塁ランナーの後藤田を迎え入れる決勝打を放ったのが河野(かわの)。うーん、承久の変の後、一時富田荘に居た河野氏の子孫でしょうか?
 

Re: 讃岐の国では~今・・・仏生山

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月23日(金)21時33分19秒
  > No.3411[元記事へ]

北島さん

> 先日、息子の受験にかこつけて松山に行きまして、「湯築城」を散策してまいりました。
> 時間が決まってなかったもので、今城さまにご挨拶できず失礼しました。

 お出でになるなら是非ご案内したいと、声をお掛けしようと思ったのですが、丁度ばたばたしておりまして、私の方こそ失礼致しました。またご案内する機会がありますよう、祈っております。

> 資料館の方に、こちらのサイトを運営している「今城さん」という人はご存じですか?と
> 聞いてみたのですが、今から思えばこれまた「とんちんかん」でした・・。

 始めの頃は湯築城のボランティア・ガイドさんの中に、保存運動のメンバーやシンパの方も居たのですが、それらの方は皆やめてしまいました。資料館の運営も最初は県の埋蔵文化財調査センターが関係していましたが、今は民間委託となっています。ですから今は「今城」で判る人はいないでしょう。裏には保存運動をやっていた時からの色々な事情が絡んでいますので、お会いする機会があれば、その時にお話します。

> 湯築城はまだまだ未解明、というのはホントですね。
> もっともっと調査をすすめていただき、明らかになるといいですね。

 調査しないといけないのですが・・・

> 松山にとってもすごい観光資源になるのではないでしょうか?

 そうなんですが、これにも馬鹿げた話があり、呆れるほかありません。

> また「折敷三文字」に関する新たな発見、とまではいきませんでしたが、
> 森の中の小さな社に今も残っていたのを見つけ、嬉しかったです。

 どこの社でしょうか。

 是非、またお出で下さい。
 

Re: 讃岐の国では~今・・・仏生山

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月23日(金)21時06分36秒
  > No.3408[元記事へ]

坂田萬蔵さん

 随分時間が経ち、今更と言われそうですが、一言。

>  今城様のおっしゃる様にネット社会はバーチャル社会ではありますが、利用如何で自分の世界を無限に広げる有用なツールだと再発見致しました。

 上手く使えば本当に有用なツールです。お役に立つよう大いにご活用下さい。

>  バーチャルをいいことになんでも言い放題の無責任な掲示板が多い中、真面目な討論や情報の開示に徹している【喫茶室】と管理人さまに感謝いたします。有り難う御座いました。

 ここに集う皆さん方が歴史探求の鉄則を踏まえ、如何なる問題にも真摯な態度で取り組んでいらっしゃるお蔭と、皆様に感謝して居ります。今後とも宜しくお願い申し上げます。
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月23日(金)20時53分25秒
  > No.3422[元記事へ]

 文字の誤変換がありました。


>  ただ、大除城の山は砕石のため山容が相当に変貌していますので、破壊が進んでいないか心配です。

 この中の「砕石」は誤りで「採石」が正しく、変換のミスでした。見直しが足りませんでした。反省!
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 3月23日(金)19時24分10秒
  > No.3427[元記事へ]

今城さんへのお返事です。

ご丁寧に有り難うございます。
今城さんの情報により、主宰が久万高原町教育委員会と分りましたので、先ほど、以前お世話になった
同教育委員会の方に調査の留意点(大量の炭化物の有無、と墓の有無)を追加してもらえないかと
依頼のメールを送付いたしました。

今後が楽しみです。

また、この「喫茶室ゆづき」は大洲史談会、伊豫史談会、今治史談会の方たちが常時ウオッチしている
ようです。
先日の菅田公民館の宮尾勝彦氏の講演内容について私が非難めいた記事を投稿したことがすぐ様本人
に伝わったようです。連絡したのは主催した大洲史談会の方のようです。

私からすれば直接、投稿して貰って意見交換してもらえば良いと思うのですが
BIG NAMEが邪魔するのかも知れませんね。

以前から「一言居士」の方が見てるのは認識していましたのでわざと挑発的な文言を使ってるのですが
土俵に上がってくれませんね。

バンドルネームなら別に問題ないと思うのですが・・・・・・。
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月23日(金)18時17分35秒
  > No.3424[元記事へ]

呑舟さん

> 大野直昌が河野家に仕えましたので河野家家来と評されてもやむ得ないと思っています。

 記事は、「戦国時代、河野氏の家来で同町一帯を治めた大野氏の居城」となっていますが、これでは大野氏は前から河野氏の家臣と言う意味に取られても仕方ありません。この文章では「戦国時代」と言う言葉がどこに掛かっているかはっきりしません。もしこの一文が「戦国時代に河野氏の家来で、同町一帯を治めた大野氏の居城」となっていれば河野氏の家臣であったのは戦国時代と限定した記述と言えるでしょう。これでもまだ甘い文章ですね。

 このあたりが記者の知識の曖昧さ、文章の甘さで、記者の質を問われても仕方有りません。
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 3月23日(金)18時03分15秒
  > No.3425[元記事へ]

海遊庵主さんへ

有り難うございます。
焼失跡と当代の墓が見つかればよいのですが?
見つかれば、それぞれの古文書は正しい史実を記録していることになりますので
その文書の信頼性が格段に上ります。
殆どの古文書は裏づけが取れないと単なる説に過ぎなくなりますので。

 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 3月23日(金)17時22分35秒
  > No.3424[元記事へ]

呑舟さんへのお返事です。

伊予と土佐の国境の久万の山郷~地元パワーで古城の古跡発掘にチャレンジの義・実に熱い新たなニュース・呑舟師にとっても真に喜ばしい古への面影を偲ぶ事案・原点との遭遇を期待してます。南無
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 3月23日(金)17時11分37秒
  > No.3422[元記事へ]

今城さんへ

早速の返答有り難うございます。
大野憲氏によれば、城郭の殆どは破壊されている所に含まれてはいませんとの
ことでしたので、今回の調査結果が楽しみです。

大野家と河野家は歴史的には距離を置いているか、もしくは敵対関係の時期が長く
大野直昌が河野家に仕えましたので河野家家来と評されてもやむ得ないと思っています。
弟の直之は、どうもこの兄の行動も気に入らなかったようです。

 

無礼講、チベット密教の影響か・・・後醍醐天皇の革命エネルギーの源

 投稿者:maru阿弥  投稿日:2012年 3月23日(金)13時21分13秒
  南北朝動乱を語るに、後醍醐天皇の無礼講が出て来ますが
スッポンポンの美女と無礼講が、密教の重要な悟りへの修行であったとは・・・
後醍醐天皇の時代、大陸では漢族をモンゴル族が支配
そのモンゴル族の宗教が、チベット密教
チベット密教の教えに、美女とのセックスを通して悟りに至るとの教え
無礼講にて革命へのエネルギーを産み出すというものらしい。

後醍醐天皇、どうやらモンゴル帝国で大流行のチベット密教の影響を受けていたのであろう。
革命に美女とのセックスが何故に登場するのかと思いきや、
後醍醐天皇の革命エネルギーの源であったようだ。

ちなみに、現代中国においても、後醍醐天皇のような元気な人物が現れるのを非常に警戒
宗教弾圧に乗り出されているようだ。
チベット密教にも
道教の流れの転法輪にも、世の中を転覆される力を秘めているようだが・・・

無礼講はすごいものですなー
 

Re: 地元有志が大除城を調査

 投稿者:今城  投稿日:2012年 3月23日(金)12時11分59秒
  > No.3421[元記事へ]

呑舟さん

 今回の調査は、久万高原町教育委員会が保全活動を視野に入れた基礎調査として住民に呼び掛けて実施し、愛媛考古学研究所の長井数秋所長が指導したと記されています。

 城は曲輪が七つあり、全長約300m、本丸付近の幅は二十数mあると確認されたとのことです。

 ただ、大除城の山は砕石のため山容が相当に変貌していますので、破壊が進んでいないか心配です。

 記事では大除城を、「戦国時代、河野氏の家来で同町一帯を治めた大野氏の居城」と説明しています。間違いとは言えませんが、誤解を招きそうな記述です。これを書いた記者がどのように理解しているのか、質して見たい気がします。
 

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