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Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 6月 1日(金)12時58分33秒
  > No.3634[元記事へ]

呑舟師へのお返事です。
並びに前段の黒川師に親書~真にお騒がせする迷い道への誘い・・悩ましいかぎり也。(ご容赦)
さて、数々の古への検証もその道筋は代われども~夫々の想いが募ってこそ微かな光明を訪ねてその奥義に辿り着く奥の細道ではないかと?!~湯築城に集う方々の信条を互いに忌憚無く語り合う唯一の先祖の念の積る古処為らんかな・何の遠慮が要るものか・・の語り草でする。
されど、徒然なるままに一歩一歩と奥の細道を~辿る喜びを授かっております。同名異人の様相も否めず~源氏と河野氏との今は昔の縁故の真偽も~なかなかの難儀なる久遠の旅路かとも・・庵主は只管にのんびりと導かれるままの明日も旅の宿に~身を委ねる諸行です。(いずれ早々に我が家の系図と手許の永年の資料にて呼応させて頂きます)・・明日から土佐之国に出立の義ありて) 南無
 
 

Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 6月 1日(金)10時14分6秒
  > No.3630[元記事へ]

海遊庵主さんへのお返事です。

> 重ねて、黒川師への道案内の道標の一端にご参考までに、我が家の先祖・通重(文禄三年午甲・1594年卒・菩提寺は土佐之国・真静寺・戒名は差し控えさせて頂きます)なる者が『我が物』と記して~後世の子孫に書き残しております家伝の書(明治時代に同族通幸・横瀬の郷の在・なかなか氏のご尊父が翻訳・書き写す)を以前に譲り受けて座右の書として身近に置いており~その内容には、源氏の血筋の系統図が見受けられます。
> ご参考までに、為義殿との繋がりが垣間見えれば幸いです・・・南無。

●貴重な「我が物」なる家伝の系図のご披露有り難うございます。

 ここでもよく判らないのは「源 親清」なる人物ですね。

「我が物」によると
 『源 親清 三島四郎
   父頼義伊豫任国時出生 三島四郎為養君河野継家」

 とありますので、父親は源 頼義(988~1075)で彼が伊豫守任官は
 康平6年(1063)2月25日とされますので、この記述が正しいなら、親清は早ければ
 1064年生まれとなりますね。この時父は76歳前後とされますので相当「絶倫」の
 限りとなります。私では無理です。はあ。
 また、75歳で当時からすれば相当 高齢な頼義を伊豫守に任官し
 伊豫に送り込んだとするなら人使いの荒い、敬老精神のない使用者ですね。
 通常なら隠居していますよね。

 また、源 頼義系図には末子に頼清は私は見出せないのですが「我が物」の出典は
 何なのでしょうか?
 これが河野関係文書では論拠にならないのですが、別の他家一次史料があったのでしょうかね?

 この人物は「予陽河野家譜」になると
 『親経一男 親清、三島四郎 又号河野冠者 任伊豫権佐更通明

  前国司頼義朝臣雖為末子、実義家末子祖父養子也』

 とあり親清は親経の子とされますが、親経は「養父」の意味でしょうか?
 伊豫権佐なる官職がなにかわかりませんが、なにか流れが変ですね。

 また続いて前国司源頼義の末子と言いながら、実は頼義の嫡男義家の末子でその子を義家の父
 頼義の養子としたと記されているようです。

 いったい三島四郎頼清の実父は誰なのでしょうね?
 義家が自分の末っ子をわざわざ、父頼義の養子にし、自分の兄弟に格上げする必要性が
 何故あるのでしょうか?

 もっとも「予陽河野家譜」で齟齬が多い書ですので真面目に考えてはいけないのかもしれませんが。

 「予陽河野家譜」は出鱈目が多いので私が直すとして書き始めたのが「予陽河野盛衰記」の
 作者だったと記憶しますので、やはりあちこち辻褄が合わないのでしょうかね?

 予陽河野家譜の作者もあちこちに「・・・ではないか?」と自信のない書き方をしますので
 江戸中期の同書最終編纂期にはよく判らなかったのかもしれません。

 同書を「正史」と勘違いして伊豫の中世史として「市町村誌」に引用されますので変な流れと
 なっています。

庵主様は如何様にお考えでしょうか?
 

24年度湯築城歴史塾の案内

 投稿者:今城  投稿日:2012年 6月 1日(金)00時25分34秒
   平成24年度湯築城歴史塾の案内を「お知らせ」欄に掲載しました。

 喫茶室から行くには、このページの上の方にある「伊予中世史への招待」をクリックして先頭ページに行き、「お知らせ」をクリックして下さい。
 

Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:黒川  投稿日:2012年 5月31日(木)21時45分29秒
  > No.3631[元記事へ]

海遊庵主さんへのお返事です。

手持ちの写を見てみますと「為頼」は確かに別宮氏の祖となっているようですが、
 「為世 四郎(和気朝臣)」→ 「為頼」となっていまして。「嶌爲頼」さんとは、少し違うような
 気もいたしますが、私は薄学にて不明です。でも、この辺の時代は「為」が多いですね!


>  黒川さんへのお返事です。
> >
> >継いで~再び、黒川師への親書也。
> お気づきのことと~前記の系統図『嶌爲頼』と申す方は、もしかしたら?!・・伊予の国・三島神社別宮之祖の御仁ではなかろうかと!・・いずれにしても・・奥の細道に・・自然のままに導かれるのも摩訶不思議也。南無
 

Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月31日(木)21時22分8秒
  > No.3630[元記事へ]

黒川さんへのお返事です。
>
>継いで~再び、黒川師への親書也。
お気づきのことと~前記の系統図『嶌爲頼』と申す方は、もしかしたら?!・・伊予の国・三島神社別宮之祖の御仁ではなかろうかと!・・いずれにしても・・奥の細道に・・自然のままに導かれるのも摩訶不思議也。南無
 

Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月31日(木)12時31分14秒
  > No.3629[元記事へ]

> 黒川さんへのお返事です。

重ねて、黒川師への道案内の道標の一端にご参考までに、我が家の先祖・通重(文禄三年午甲・1594年卒・菩提寺は土佐之国・真静寺・戒名は差し控えさせて頂きます)なる者が『我が物』と記して~後世の子孫に書き残しております家伝の書(明治時代に同族通幸・横瀬の郷の在・なかなか氏のご尊父が翻訳・書き写す)を以前に譲り受けて座右の書として身近に置いており~その内容には、源氏の血筋の系統図が見受けられます。
ご参考までに、為義殿との繋がりが垣間見えれば幸いです・・・南無。
 

Re: 鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月31日(木)11時45分10秒
  > No.3627[元記事へ]

黒川さんへのお返事です。

黒川師、いやはや~辿れば辿るほどに・次から継ぎに~誘い込まれる事案に逢うのも・迷い道の奥の細・身知也。
されど、又これも楽しからずや!?・・南無
 

Re: ヒストリア(長宗我部元親)

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 5月31日(木)08時02分16秒
  > No.3612[元記事へ]

黒川さんへのお返事です。

> NHKのヒストリアで、長宗我部元親の特集をしていましたが、秀吉の四国征伐のシーンで
> 西条の郷土史家の万條氏が出演されてました。高尾城の案内と説明をされていました。

●同じ日のヒストリアでもNHKは地域別に放送しますので、当方のエリアでは別のヒストリア
 でした。見たかったですね。NHKの全国統一番組は年々少なくなります。
 地域密着と言えばそうですが、長宗我部を四国ですれば視聴率はとれますが、東北では
 「誰のこと?」となりますからね。全国版と地方版は視聴者は判りません。
 

鎮西為朝は伊予で没したのか

 投稿者:黒川  投稿日:2012年 5月30日(水)19時07分25秒
  庵主さん。「ヒストリア」の返答ありがとうございました。
先週の平清盛を観て鎮西為朝は保元の乱の敗戦で大島に流されたが、「伊予温故禄」には
、その後に大島を遁出し河野に匿われ伊予にて没するとあります。
滑川の寺にそのお墓があると書いています。信じてはいませんが、今度時間があれば見てきたいと思います。
 

Re: ヒストリア(長宗我部元親)

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月25日(金)19時46分16秒
  > No.3612[元記事へ]

黒川さんへのお返事です。

> NHKのヒストリアで、長宗我部元親の特集をしていましたが、秀吉の四国征伐のシーンで
> 西条の郷土史家の万條氏が出演されてました。高尾城の案内と説明をされていました。

*土佐之国の長宗我部元親の四国制覇の従軍記には、庵主の先祖も少なからず~伊予攻めの一役を南豫の山城に兵を進めております!・・何故?・・聊か心苦しき想い也。南無
 

Re: 湯築城、観光ルートへ

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月25日(金)19時39分47秒
  > No.3608[元記事へ]

呑舟さんへのお返事です。

> 21日付、日経MJ新聞(旧日経流通新聞)【全国紙】によると、松山市は広島県及び広島大学とタイアップして
> 村上水軍観光ルートを開発し、早ければ、今秋から、各観光業者を通じて販売を開始するとか。

*呑舟師、瀬戸内の海を両岸に分かつ~伊予と安芸の国の・・ヒストリー~渦潮渦巻く海上ルートのビッグニュース!
歴史物語を舞台と・・ソフト両立を是非・・見事に・・両県行政と・・トラボ出来れば~河野・毛利も先祖の戦勝祝いで・・湯築城の庭に集いましょう! 南無・歓喜
 

ヒストリア(長宗我部元親)

 投稿者:黒川  投稿日:2012年 5月24日(木)19時10分28秒
  NHKのヒストリアで、長宗我部元親の特集をしていましたが、秀吉の四国征伐のシーンで
西条の郷土史家の万條氏が出演されてました。高尾城の案内と説明をされていました。
私はお会いしたことはありませんが、同じ西条市在住の方で、お名前は存じていましたので
ビックリしました。何度もその絵をビデオで見直しました。高尾の映像は頂けませんでしたが、地元の史家の方ガンバレ!!と言う感じです。
 

湯築城、観光ルートへ

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 5月24日(木)00時38分57秒
  21日付、日経MJ新聞(旧日経流通新聞)【全国紙】によると、松山市は広島県及び広島大学とタイアップして
村上水軍観光ルートを開発し、早ければ、今秋から、各観光業者を通じて販売を開始するとか。

パワースポットの中に湯築城も含まれていました。
大山祇神社、能島、来島、湯築城、厳島、屋代島、等を3つのルートに分けて商品化するそうですね。

ミーハーが通り過ぎるのは好みませんが、世の関心が高まり町興しになればとも思います。
 

Re: 平岡氏の家系

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月20日(日)09時52分41秒
  > No.3594[元記事へ]

KenKenさんへのお返事です。

お早う御座います~平岡氏の家筋も、きっとKENKENさまのご熱心な想いがご先祖の面影を辿る道筋を導いてくださることと!
是非~今に世にてご先祖の昔を訪ねて~子から孫へと~菩提を偲ぶ『念』大願の成就を願っております。南無
 

Re: 平岡氏の家系

 投稿者:KenKen  投稿日:2012年 5月20日(日)00時51分20秒
  海遊庵主>
はじめまして。返信ありがとうございます。
一切れのメモから始まり、繋がりや視野がどんどん広がっていくようで、
とても希望に満ちた気持ちでおります。

先祖探しは自分が想像するよりも遥かに難しそうですね。
しかし、ここで諦めると後の世代での探索はもっと難しくなってしまうと思われ、
先輩方がご健在の内に出来る限り情報を集めて、簡単な内容でも良いので後世に残せたらと考えております。
今後とも何かとご意見、ご助言の程、お願いいたします。
 

Re: 平岡氏の家系

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月19日(土)20時14分33秒
  > No.3592[元記事へ]

呑舟さんへのお返事です。

無事のご帰国何よりです!^お疲れ様でした。
さて^真に刹那を競う返信ですた^メインスレッドで単にご返事させていただいた直後に~固有スレッドに呑舟師の御応答の義見させていただき・・何故に!?・・タイミングの刹那の不思議なる出会いましたなあ~!南無
 

Re: 平岡氏の家系

 投稿者:呑舟  投稿日:2012年 5月19日(土)20時03分8秒
  > No.3591[元記事へ]

海遊庵主さんへのお返事です。

> されど~只今~大陸に赴いておられる呑舟師が帰られれば何らかのお導きが在ろうかと! 暫くの猶予を。南無

●ご案内頂きましてありがとうございます。
 強行軍でしたが先ほど帰ってまいりました。

 土産話はまた折をみて紹介させていただきます。
 

Re: 平岡氏の家系

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月19日(土)19時07分16秒
  > No.3588[元記事へ]

KenKenさんへのお返事です。

よくお越し下しました。~ご先祖を偲ぶ仏心にご同慶の念を同じくしております。
ただ~平岡氏一族の家系の詳しい系図等については~その流れを血筋に保ち=家門を延々と御子孫に受け継いだ方々との出会いが最も真実に辿り着く道筋(本道)と受けと留めて居ります。
庵主も自家の正統に繋がる・・系図は代々書き残し~受け継いでおりますが、残念ながら『平岡氏』のご先祖様の有様は家伝の『龍穏寺・豫章記』に所々に同名の御仁を見受ける程度です。
されど~只今~大陸に赴いておられる呑舟師が帰られれば何らかのお導きが在ろうかと! 暫くの猶予を。南無
 

平岡氏の家系

 投稿者:KenKen  投稿日:2012年 5月18日(金)23時32分32秒
  はじめて投稿いたします。
最近先祖の関係を調べはじめて行き詰っていたところ、こちらのサイトを見つけ
管理人様に相談の上で投稿させていただいた次第でございます。
当方の先祖は長州毛利氏の家臣飯田氏(毛利水軍)で、江戸時代は周防大島(屋代島)の一部を領していたようですが、江戸末期には同じく周防大島を領していたと思われる平岡家から室を迎えたようです。
つまり平岡家とは遠い血縁関係になると思われますが、詳しい出自などが判りません。
親戚のメモによると平岡通明-通政-通義-通元(江戸後期から幕末)等の名前が確認出来ます。
この方々を辿ると、喫茶室内のスレッド「牛福通直と平岡氏」内に掲載されている平岡通倚氏などに家系として繋がるのでしょうか?
初めてのスレッドで相談するのも大変恐縮なのですが、
もしご存知の方がいらっしゃれば色々と教えていただければ幸いです。

また、家系図などを所有されている方で、それを控えを頂くか見せていただくことは可能でしょうか。
または、調べる方法や掲載されている書籍を教えていただけないでしょうか。
以上、ご指南の程、よろしくお願い申し上げます。
 

Re: 阿波の河野氏由縁の地を訪ねて③

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月17日(木)00時02分1秒
  > No.3585[元記事へ]

北島さんへのお返事です。

間も無く深夜12時ですね!・・庵主も負けそうな行動力に乾杯!
明日は讃岐の国の風土記の御仁と、さぬき市の峠で会い見えます~先日お話した亀水の古刹の会合の前にお誘いがありましたので!
て~土佐之国の武市瑞山(半平太)は尊皇攘夷の立役者~坂本竜馬の恩師にて?人きり以蔵の岡田氏とも伊予の人也。
はてさて??・・阿波之国の武市氏と~土佐之国の武市家とは同じ家系の御仁かなと!・?・・実に微妙なお誘いですな~?・・興味津々。南無
 

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