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Re: 導かれる侭の遭遇も~重ねて

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 5月 2日(水)14時57分35秒
  > No.3536[元記事へ]

昨夕、古・寒川郡長尾郷の嵯峨院大覚寺派古刹『極楽寺宝蔵院』に愛車ミニバイクを誘われるままに行ってきました。(今は善通寺派とお伺いました)
突然の訪問にもかかわらず、ご住職~奥様に快くお迎え頂いて本当に感謝申し上げます。
南朝方の讃岐の国の中心的存在を数々のお話をお聞かせ頂き、感激して貴重なひと時を納めて山門を離れ帰路に着き~その後は夜中バイクで~何時もの津田の里を越えて~岬の温泉施設にて瀬戸内の夜景を見ながら露天風呂に身をゆっくりと委ねて~さぬき志度の陣屋に帰ってまいりました。(詳しくは連休明けに~取り合えずご報告まで)
 
 

藤田達生教授の講演

 投稿者:今城  投稿日:2012年 5月 1日(火)17時07分13秒
   愛媛新聞に掲載された記事に注目すべき話が載っていましたので、ご紹介します。

 30日に西条市で開かれた西条歴史文化講演会で、三重大学の藤田達生教授が「藤堂高虎と伊予」と題し講演をなさいました。藤田教授は藤堂高虎と、同時期に伊予を支配した加藤嘉明との間に「強い軍事的緊張関係があり、嘉明が松山城を築いた当時、高虎が嘉明側を監視するため道後の湯築城を改修して重臣を送り込んだとする資料を紹介し、両者が一触即発状態になっていたと解説したそうです(ココ)。

 この説は昨年の湯築城歴史塾でもちらりと聞きました。それは第三回の歴史塾で、松山城が湯築城に対する守りを意識して造られたと言う講演の時でした。藤田教授はその説は頷けると評し、上記高虎の話を述べられたそうです。

 藤田教授の説が正しいなら、湯築城が解体されたのは今まで考えていたよりかなり後のこととなり、多くの点で見直しが必要となりそうです。
 

Re: 導かれる侭の遭遇も~重ねて

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月30日(月)21時31分19秒
  > No.3531[元記事へ]

師匠、真に仏閣・神社等の存在を知る機会は何の計らいも無くて無心の姿こそ~伊予も讃岐も^土佐も・阿波にも遊行の旅路には至る所に、日々愛車の『GPS』の~アナウンス『暫く其の侭道なりに』の如き道標が表示されるようですね!
前文の地元の町史のその奥の細道を歩くうちに~次第に身の回りに覚えのある事象が見え隠れして来ました。
源平合戦の屋島檀之浦~庵治・牟礼の里には船隠しの庵治の古湊には『番屋』・牟礼の里には『本館』を備え~、
通信所以の『志度の浦』にはネット時代の作戦篭り『隠れ部屋』を今に日々の暮らしを営み~古大内郡丹生周辺には(伊予の土居氏にも由縁の脇屋義助の弟の脇屋古城跡在り~その山手の脇には『脇城跡』)の在には、近くに水主神社の源から流れ落ちる川筋には、庵主の『出城』を備えて居りまする。
今一度、一部分をUPして置きますので見ておいてください。南無
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月29日(日)23時42分26秒
  > No.3506[元記事へ]

今城先師・師匠への皐月の連休直前の親書也!
一連の南北朝の鬩ぎ合いの時代に想いを馳せて、昼に夜に~導かれるままに現を募らせて諸所を訪ね歩くこと仕切り也。
さて、地元讃岐の村々の郡史や村史を機会あるごとに訪ねて居りましたところ~地元の牟礼町の図書館にて先述の仲多度郡満濃町の古城『西長尾城蹟』の麓に在する『三島神社』の存在を検証したところ~新たな情報(記文書)に出会いました!!!・・驚きです。
土佐と阿波と~讃岐と伊予に共通する時代背景の由縁を語るが如き一筆に・・目が覚める想いでした。南無
師匠が以前に阿波と土佐と讃岐と伊予との国境の山岳武士団(軍勢)の存在を検証成されてことの義に符合する文面と受け止めて、南北朝の四国の国々と~中央政権の狭間の政情が映し出される感也。
その一説を早速湯築城に早馬を讃岐の国・屋島檀之浦合戦の牟礼の里の庵主が鐙に老い我が足を乗せて~真夜中に国境を越えてお届けします。南無~妙~法蓮~華経
 

Re:続いて讃岐之国への誘い~源平合戦記

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月28日(土)11時43分48秒
  > No.3532[元記事へ]

> 今城先師、師匠並びに湯築城の方々に、ご案内する話題は讃岐の国高松文化財保護協会牟礼分会の『安芸の宮島を探ろう』の研修会のご案内です。(庵主の所属の源平合戦の古戦場・地元屋島・牟礼の分会の企画です・平家物語を読む会)・・5月も全く忙しそうです~何でだろう!?。
> 庵主も今から諸事情検討の先にご一緒しようかと?~是非ご関心の皆様には、御案内方々お知らせいたします。~四国の各所にて盛り上がっておりまする 南無
 

土佐之国への誘い~源平合戦記

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月28日(土)11時15分10秒
  今城先師、師匠並びに湯築城の方々に、ご案内する話題は土佐の国『県立歴史資料館』の開催講座のご案内です。(只今副館長のご承諾を頂きました)
庵主も5月の講座に聴講の手続きを完了しましたので~是非ご関心の皆様には、御案内方々お知らせいたします。 南無
 

導かれる侭の遭遇も

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月26日(木)20時04分17秒
  師匠、真に仏閣・神社等の伊予も讃岐も^土佐も・阿波にも遊行の旅路には至る所に~仏神の縁あるも摩訶不思議なり。
本日は、24年度の高松市文化財保護協会の定例総会が催されました。
ご存知の通り讃岐の国・屋島~牟礼~志度の古里は、源平合戦の古戦場の通信殿の戦場で御座る。
太平洋戦争の終戦の末期には、屋島の麓には、日本国空軍の苦肉の策・飛び立つだけの飛行滑走路と俄か作りの飛行機工場の存在が幻の如くその面影を残しているのです!・・・時間の過ぎ打つ侭の幻の彼方に消えうす記憶の末路も亦淋しからずや!・・兵どもの夢の跡・・諸行無常の響き在り。南無
膝元の牟礼の里と瀬戸内を挟む遠望の小豆島にも~特攻部隊の悲話が今の世にも語り継がれておりまする・・・南無阿弥陀仏・・南無合掌。
 

水軍と仏教、血祭りにあげし海賊たちの恨み節・・

 投稿者:maru阿弥  投稿日:2012年 4月25日(水)18時53分18秒
  河野水軍、仏教の縁が非常に深いものを感じますが
これだけ仏の教えに浸るとは・・・はて・・・
海賊追捕使として、あまたの海賊・海の盗賊団を血祭りにあげし供養でありましょうなー

かの東北において激戦を戦いし源頼義、伊予入道となられてからは
血祭りにあげし人々への供養に伊予の各地にあまたの寺を建てられし・・・

河野水軍の寺寺の多さと、縁の深さを眺めておりますと
海賊たちの恨み節が聞こえて参りますが
なんむ・・・なんむ・・・
 

名将・細川頼之と河野氏

 投稿者:maru阿弥  投稿日:2012年 4月25日(水)18時38分53秒
  細川頼之・・・名将ですなー
従兄弟で、権力の中枢を占め武勇においては佐々木小次郎なみの細川清氏を討取りし離間の計・陽動作戦
見事ですなー
かの通信の屋島・平家本体を引き離し、がら空き寸前の屋島を襲いし義経
彼も陽動作戦の名人なれど、頼之も源氏の兵法を駆使されますなー
河野氏と義経
河野氏と頼之
似た所がありますなー
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月24日(火)13時25分4秒
  > No.3517[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事

昨夜も升少軽く土佐之美酒を呑み干し(多彩な呑舟師の影を覗いつつ)・・・湯築城の庭に遊んでおりました。
その夜の舞台・演目は『観応擾乱の讃岐の国・西長尾城』(延暦元年の1338年)の足利尊氏と直義との2人の武家の棟梁の鬩ぎ遭いの最中の政情の義でした!
時を左程違わず、正平年初め1351年の政変の時代を省みて、南北朝の四国での布陣の諍いの風景は、伊予の国情のみならず~讃岐と阿波と土佐之国の残影に想いを馳せる事も避けて通れぬ政治体制(国情)でしょう!南無
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月23日(月)15時15分52秒
  > No.3505[元記事へ]

> maru阿弥さんへのお返事
> その歴史背景の原点は、何と~なんと!!!・・貞治3年(1364年)の正しく湯築城騒乱の時代の土佐之国守護代細川天竺禅門と讃岐阿波の守護・足利幕府の管領~細川頼之の鬩ぎ合いの史実に導かれた由縁にて、その際に地元武将・久米左京亮盛重なる人物が大三島神社の戦勝祈願を成して戦功を遂げや故にて、伊予の国の大三島・大山祇神社より勧進なされて~八幡宮と同社に祭り~云々とは!!!!!~真に不思議な事象と窺い知ること多きかな。
*・・久米氏の御子孫と思しき・江戸時代の著名人・久米通賢(音読みと~訓読みの名前あり)。
この人物は、今にその功績は、讃岐の国東部引田の郷にも~仲多度郡の宇多津(一遍さんの郷照寺・細川頼之の館)の郷にも・・卓越した学識とその嘗て瀬戸内の難波への海運業を生業とする先祖の家筋を継いで地元の地産興業に貢献された人物です。
庵主の推測ですが~讃岐の国には、久米と言う在所(名)は調べ度も見わたらず、多分に伊予の国にその源流を知り得るのでは考えております。
さすれば~細川頼之(並びに弟頼有の存在と伊予攻め幻)は、地元の河野家の配下の武将の家筋にも、南北朝の乱世の最中なればこそ・・土居・得能の恩顧の兵が存在して居ても不思議では無いものかと!?・・。 南無
 

Re: 河野水軍・高縄の霊酒を味わう

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月23日(月)13時58分3秒
  > No.3512[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事です。
師匠、美酒の深き味わいは長命の源なり哉!?。
朝に目覚めて~夕べに美酒に酔い~夢を視るのも亦~先祖の諭しかとも!・新たなテーマに導かれる今日今日です
何れその内に讃岐の国の遊行をゆるりと重ねて長尾の在の南朝方の一躍を担った古寺を訪ねて~ご報告をさせて頂きます。南無
 

Re: 河野水軍・高縄の霊酒を味わう

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月21日(土)18時08分47秒
  > No.3511[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事です。

今日は地元の歴史文化財保存会の牟礼分会のメンバーと集って〔平家物語〕を最終の談に近づいて~読みふけり~その後に先輩諸古老の師の方々と、若干の年下の数人の男女と共に、語り合い・・各人の熱心な話題・意見等々の研究・ミーチングの熱い時間を過ごして帰館しました。
これから~夕食を献立て~摂りあえず讃岐の国の国府に流れる〔綾川の水〕の銘酒を飲むことにしましょう。笑い
ところで・・大分見えて来ましたよ!・・・西長尾城の延元2年(1337年~)の背景が・・。
少し悩める軟弱な庵主の頭脳の日々衰えるキャパ・領域を駆使してお知らせすることに聊か今宵は迷っております
~大笑い・・やはり伊予の高縄・河野川の流れの聖水の美酒を師匠・先師と共に飲む円座が望ましいかも。 南無
 

河野水軍・高縄の霊酒を味わう

 投稿者:maru阿弥  投稿日:2012年 4月20日(金)17時09分21秒
  謎が謎を呼び、頭の中は五里霧中
こういう時は原点に帰り、河野水軍の里、高縄の霊水にて醸し出されし美酒にて
頭の血流を冷やすのに限りますなー
河野通清・通信らも飲まれたであろう高縄の霊酒、まずは一献・・・
 

Re: 讃岐の河野四郎通直と阿弥陀如来の謎・・・

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月19日(木)18時31分33秒
  > No.3509[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事です。

師匠、相なんですよ!・・・通直も夫々名乗られる家筋は家伝の否み似て候也。
但し、庵主の思惑には弾正少弼・任遠江守・元亀3年壬申8月26日(みずのえ・さる・・1572年没)の55代河野氏の正統の海岸希請大和尚〔我が家の系図には希清大居士とも〕と拝察するしだい也。
但し、四郎でなくて太郎為らんかな?。南無
 

Re: 讃岐の河野四郎通直と阿弥陀如来の謎・・・

 投稿者:maru阿弥  投稿日:2012年 4月19日(木)17時10分18秒
  > No.3505[元記事へ]

海遊庵主さんへのお返事です。

>伊予国河野四郎通直縁起の「観興寺」の木造阿弥陀如来立像が平安時代の製として高松市の指定有形文化財に成っている事です。

うーん、河野四郎通直ですかー
四郎のミドルネームを重んじられるとは、通信ゆかりの鎌倉時代かと思いきや
1500年代初期とは、うーん
河野通信の誉れを非常に重んじておられる御仁でありますなー

さらには禅宗の釈迦如来ではなく
浄土宗の阿弥陀如来を祭られているとは
これまた、通信の時代とそっくり、かの一遍を思い出されますが

四郎は河野通信の誉れのミドルネーム
阿弥陀如来も河野通信の念持仏

通直に四郎が居られたとは・・・はて・・・
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月19日(木)16時02分5秒
  > No.3507[元記事へ]

師匠並びに北島・坂田両氏に是非伊予の五色姫と屋島の姫・逸話の合間に会わせて五色台の白峰の御稜・雲井御所・鼓ヶ岡神社の古跡に因む、崇徳天皇の御世(1123年~1141年)への面影を偲び訪ねるも又仏心なり
過去の過ぎ去りし400年の時空の隙間に身を置くも又楽しからずや!
ちょっくら(土佐弁)・・年表を捲って・・大永年間(1521年8月23日~1528年8月20日)を比較して見てくだ下さい。~足利将軍と細川氏(高国・晴元~京都近畿周辺の仏教徒衆の諍い)と毛利氏と三好氏と大内氏との騒乱の模様が微妙に絡んで居りまする。(実に興味を引く時代背景に気付くかもと) 南無
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月19日(木)14時50分36秒
  > No.3506[元記事へ]

maru阿弥さんの返事なれど
讃岐の国の坂田さまにも会せて検めてご参考までに、今日昼ごろ観興寺に再訪問して参りました。
今は無人のご様子にて本堂に廊下を通じる館には人の気配無し・・と。
さて、寺伝の案内板の記載と~室町時代作の阿弥陀仏像の謎の故に~本尊は不動明王かと・・受け止めるも、
時代との符合の因を知りたくて訪ねてみましたところ。矢張り本堂の古き額の本尊は「不動明王」でした!
その脇座には、熊野神社の古き社も在り、本日はデジカメも持たずにお尋ねしたので残念ながら写メールは御座いませんのでご容赦。南無
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月18日(水)14時20分7秒
  > No.3505[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事
もうあと数枚の写真をお送りします。
讃岐の国。中世の古城長尾城址の麓にある「三島神社」の風景です。(昨日参拝・ご参考までに)
 

Re: 五色姫と屋島の姫の涙

 投稿者:海遊庵主  投稿日:2012年 4月18日(水)13時35分39秒
  > No.3504[元記事へ]

maru阿弥さんへのお返事
師匠、伊予と讃岐の奥の細道~辿る道すがら!・・この所未知との遭遇が屡也。
一つは、讃岐の国の金毘羅さんと空海の満濃池との境に、仲多度郡まんのう町大字長尾字浦山の里には三島神社が御座して居られる義・・地元にては町指定の無形文化財の「湯立て神楽」が今に伝承されておりました!・・驚きです。
その歴史背景の原点は、何と~なんと!!!・・貞治3年(1364年)の正しく湯築城騒乱の時代の土佐之国守護代細川天竺禅門と讃岐阿波の守護・足利幕府の管領~細川頼之の鬩ぎ合いの史実に導かれた由縁にて、その際に地元武将・久米左京亮盛重なる人物が大三島神社の戦勝祈願を成して戦功を遂げや故にて、伊予の国の大三島・大山祇神社より勧進なされて~八幡宮と同社に祭りその神事が今に地元の住人にて毎年・10月の中旬(13日~)に奉納されているのです。
もう一つは、以前に讃岐の国の川内氏の御子孫のご訪問にて明らかになった高松市室町の伊予国河野四郎通直縁起の「観興寺」の木造阿弥陀如来立像が平安時代の製として高松市の指定有形文化財に成っている事です。
今までは~これ程までに伊予と讃岐の神仏の縁の深さには伊予の国の湯築城下では耳にしなかった深き縁の埋もれ隠れた事由に導かれるとは、此れもまた姫君の面影の由来する摩訶不思議なる自然の導きと。南無
 

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