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  • いつも有り難う御座います

  • 投稿者:matthew
  • 投稿日:2011年 3月 7日(月)06時53分31秒
 
メインスレッドにて庵主師には系譜をupして頂き、大変有り難う御座いました(これを書いている間に更にupされた系図も凄いものですね!)。

家伝の野嶋系譜の2代目、野嶋民部丞通豊の三津浜の戦いの記述から、当初takubo某様のHPに投稿させて頂き、その後ゆづき城に登城させて頂いた次第です。その折、takubo様より「通高」の記述の記憶があるとのお答えでしたがこの頁だったのですね。

繰り返しになりますが、家伝の野嶋系譜では初代から3代目までは父母室の記載無く家譜の記載としては不完全です、伝聞だけかもしれませんね。初代野嶋掃部丞忠時は孝霊天第3皇子小千命から書き起こし、河野通忠の庶流とした上で、弘治元乙卯年(1555年)の厳島直戦いで善戦したこと、次代野嶋民部丞「通豊」は慶長五庚子年(1600年)に三津浜の戦いで戦死したこと、3代目の野嶋民部忠由は父通豊の戦死により親族石川、萩原氏を頼って関武ニ下リ武州八王子之邑ニ領居ス、とありますので、この記述を信頼すれば、師のお見せ下さった因島、通暁末子因島掃部通茂の庶流で同じく三津浜の戦いで戦死した野嶋掃部「通高」とは別の野嶋家ではないのではないでしょうか。3代目が八王子に下ったことも、通高の珍海山之城が没落した如く、居城が無くなり祖の通忠の母(通有の妻)江戸氏の版図に流れていったと考えると符合するような気がします。

「通豊」は「通高」の誤写、との可能性もありますが、4代目以降は「忠」を通字としておりますので、能島由来と思われる野嶋家も林家土居家始め河野、越智氏ゆかりの庶家が数多く(?)あり、そのうち通忠ゆかりの一系統であったのではないかと考えております。



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