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  • Re: 厳島の合戦と野嶋氏

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年 5月 2日(月)22時06分40秒
 
> 過日子規記念館より求めました呑舟師お勧めの「観念寺文書」より先に一緒に購入しました景浦勉先生の「河野氏の研究」を読んでおりました。出自は別にして、越智郡の越智氏一族が衰退して河野郡の河野氏へ覇権が移ったが同族意識は強かったようだ、と読み取りましたが如何なものでしょうか。
> 少しずつ勉強しております、汗。流石に景浦先生の大書ですね。
>
> 同書124頁に湯築古城の図がありますが、今城師の仰るように石垣など無い、2層の土盛の
> ようですね。まわりの黒い部分は堀でしょうか、それとも土盛の坂でしょうか。石垣を高く
> 積んだ近世の城とは随分違うものだと実感しました。

●伊予史談会会長の立場からすれば、越智郡の越智氏と風早郡河野郷の河野氏とは全く関係がない
 とは言えなかった感じですね。彼の著書は沢山ありますが、越智郡の越智家後裔が河野氏であると
 は断定していません。様々な予章記や様々な河野系図がそう記録しているので、なんらかの関係
 が途中から発生したらしいと曖昧にしています。
 やはり、始祖の孝霊天皇説とニギハヤヒ説との葛藤と思われます。
 このスレッドのメインテーマの皇別系と神別系と全く相反する始祖だからです。
 一方を認めると片方と辻褄が合わなくなり第三者の歴史学者しては致命的ですから。

 湯築城の古地図の説明は今城さんの方が詳しいと思います。
 私はこの絵地図がいつの時代にいつの時の城を何の目的で誰が書いたか分りませんので
 説明能力がありません。

 感想として言わせて頂ければ、
 新しい時代の絵図のような気がします。
 堀は二重堀になっていますので、天文四年の大改修以降の姿だと思われます。
 よってほぼ現在の姿ではないかと思われます。
 天文四年の大改修は「湯付堀普請」と言われるもので、
 山城の平城化と、堀のニ重化と、大手門と搦手門の逆機能の設計変更と言われてますので、
 攻撃より、防衛を目的とした改造かと思われます。
 この普請は大工事らしく人夫集めには苦労しているようです。
 短期間の工事ではなく相当負担が掛ったらしく、
 「この普請は勘弁して下さい」とした所にOK(免除)しているようです。

 内憂外患の時代ですので、いつでも篭城できるように守りを固めたものと思われます。
 中世の城を改造しているようですから、石垣を高々と積み上げる城とはなってないようです。

 只、素掘りの堀では、堀としては心もとないのですが?
 この時少しは石は使ったと思われるのですが・・・・。
 発掘例を根拠とした今城さんとの見解が以前分かれたものです。

 湯築城の石垣を今の松山城の普請に使ったと景浦会長が書いてますがよく分りません。

 素堀の堀は時間が経つと段々崩れて行き、1年に一回は水を抜いて泥さらいをしないと
 堀が壕でなくなります。平和な時はそれでもいいのでしょうが、戦国時代にはそんな悠長な
 泥さらいできるとは思えません。

 瀬戸内海地域は雨が少ないので、灌漑用のため池が沢山ありますが、殆ど素堀です。
 数年に一度、水を抜いて土壁の補修と泥さらえをして、強度の補修と水量確保のための流れて来た
 土砂を運びだします。小さな溜め池でも水を抜いて同様な工事をして又、水を張ると約1ケ月
 かかります。石垣で養護された池ならこの工事が殆どいらないか、しても十数年に一度のメンテ
 で済みます。同様なことが湯付堀にもあったと思います。

 湯築も天文4年に二重堀化した時に一部石垣工法を使った可能性はあると思います。
 貴重な石工を集めることと適した石を近くから調達できる必要があります。
 時間と費用が限られる戦国時代はスピードが勝負です。
 また。真っ先に堅固にするのは門の周辺です。出入り口が崩れたら勝負にならないからです。
 逆に言えばその部分だけ石垣化が最低条件です。
 会津若松城や弘前城は今も、門周辺しか石垣がありません。

 一旦構築された石垣はキッドと一緒ですから部品に分解して再構築できます。
 よって楚石からその下のグリ石まですべて松山城に持っていかれたら、湯築城には
 証拠は残りません。
 戦国時代の築城はスピード勝負ですから石垣の石はとても貴重です。
 使える石は何でも使います。
 明智光秀が築城した福知山城は築城を急ぐあまり石垣に墓石が多数使われています。
 現在ガイドの方は前領主の墓をわざわざ使いと、極悪非道の明智光秀像を作るために説明しています
 これは誇張でしょう。周りの墓地から片っ端から徴用した感じですから。

 また脱線しました・・・・。


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