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  • Re: 奥の細道は、今の世にては

  • 投稿者:matthew
  • 投稿日:2011年 5月 8日(日)11時48分56秒
 
>>118
> matthewさま、ご熱心な野嶋氏の時代を越えて~ご先祖を尊ぶ御仁(祖母で遺言ですよね)の義、是非今の世に生命を継いだ御貴殿の大願成就を祈念しております。

有り難う御座います。祖母で途絶えた野嶋家でもあり、また早世した次兄に継がせようとした
亡母の遺志でもあろうかと存じます。ただ、私の探索が子や孫の代まで継がれるか、は或いは
投稿されている皆様の中の方にも通じる危惧では無かろうかとも存じますが・・・南無。

> 野嶋氏と石川氏とを繋ぐキーワードは~細川通政の嫡男・細川通董(みちただ)殿をお訪ね下さい。

貴重なヒントを有り難う御座います。膨大な細川家の系図の中のひとしずくは私の力では
探し得ないもので深謝です。

我が家の系譜の最初、野嶋掃部丞忠時は弘治元乙卯年(1555年)十月晦日の厳島の戦いに
参加しているようですので、細川通董殿の伝・生年天文4年(1535)から没年天正15年(1587)と
重なる時期に生きたようですね。
祖母の出生地は岡山縣北条郡津山村(明治22年西北条郡津山町、現津山市)生となっており、
曾祖父野嶋亨(平馬、一馬、恒)の室房子(墓所は東京谷中善性寺)の出身地かも知れませんが、
野嶋家としては伊豫から京都、伊勢亀山から上州館林(最後の野嶋亨が館林に残ったか、
藩主松平武聰公に従い石見藩に移ったか未だ調査が進んでおりません(館林藩の幕末の家臣禄高の
資料があるようです)と転々としたようですが、細川公の領地であった備中国の隣国美作との関連が
謎で残っております。


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