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  • 野嶋内匠義忠と野嶋民部は同一人物か?

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年 1月 8日(土)14時23分23秒
 
> 「村上掃部頭武慶(村上武吉)の子孫一門悉く天正十三年九月、同年七月より九月に至る間に河野屋形予州没落に依りて、芸州沼田竹原へ退去につき、同時に隋從退去す、…村上掃部頭武慶、備中守義光、築山左近其の外諸大将悉く芸州賀茂郡竹原え退去す。其の余の諸士は思い思い諸国に分離流居す。而して後、備中守義光、同野島内匠頭義忠(義久或いは吉政ともある)は備後鞆に退去」

●松前(正木、真崎)の戦いによる、野嶋内匠と野嶋民部が以前から気になります。
どうも同一人物かそれとも余程近い関係かとしか考えられない。

「続武将感状記」なる後世すぎてあまり信頼性は置けない江戸時代の書に、

 「輝元ノ臣、村上掃部(元吉) 能島内匠、曽根兵庫、宍戸善右衛門、時ヲ得テ松崎ヲ攻メトレント ス。能島 村上ハ河野ノ一族・・・・(中略)
 大将掃部、内匠、兵庫、三人討死ス・・(後略)

 文の内容は正木を攻めて、佃が了承したから宴会して待っていたら奇襲されて散々な目にあったと
 される従来の内容と同じであるが、この書は加藤側が情報源らしく、後に嘉明が関が原から帰って
 来た時の褒賞吟味の時、敵の大将村上元吉を討ったとしているが、証拠の首がないのでもめたが
 一件落着して久万地方の六千石を佃に与えたとしている。
 (この久万地方は元大野家の領地である・・・)

 このことから村上元吉の遺体は首付きで竹原の連れて帰ることが出来て珍海山に葬ることが
 できた。
 (この珍海山の元吉の墓を「河野家分限録」は父親の武吉の墓と記しているから「河野家分限録」の
  記述の信頼性はあまり高くない所以の一つともされます)

 能島は河野一族、松前攻めの副将級の人、討死していることが、貴家の伝承と合致します。
 早い段階で海賊部隊に合流していた河野一族の可能性が高いとも取れます。
 名前と官途名は時期により変わりますので同一人物とも考えられます。

 同じ大将級の宍戸(完戸)善右衛門は討死していないようですから、宍戸家文書を探すと
 出てくるかも知れません。
 これが又、沢山有りすぎて、東大史料編纂所分だけでも大変です。

 ぼちぼち行きますか(笑い)

 山口県文書館史料はもっと大変・・・・。





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