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  • Re: 平岡治部小輔

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2011年 2月21日(月)19時42分36秒
 
> 天正13年春、河野家の質として長宗我部へ出された平岡某(伊豆守房家・出典不明)といい、
> 平岡一族は河野屋形にかなり近い縁者のようですね。
> 平岡治部小輔というのは、このスレッドで名前のあがっている平岡一族の中にいるのでしょうか。

●精査しないと断定できませんが、時期からすると平岡通倚と思われます。
 河野家の毛利家への窓口でメッセンジャーボーイが平岡家で、毛利家の窓口は小早川隆景です。
 情報のチャネルは1本化していたようです。外交の基本姿勢ですね。
 後に、河野家滅亡により、平岡家も小早川隆景に随従、隆景無きあとは毛利家家臣として明治の代を
 迎えます。
 同様な変遷を送るのが、大野直昌の兄、直秀(隆直)で、故あって、能島村上武吉の預扶助となり
 武吉の女を嫡男、直政が娶るにいたって、直政は元吉付け家老となり、「姫路会談」に於いて、
 信長(代理人秀吉)の河野家と毛利家と村上家の調略を断り、後日、河野家は断絶、村上家は西方に追いやられ
 交渉当事者の村上元吉とその家老大野直政の首をよこせと再三の督促をとりなしたのは、毛利家と
 小早川家であったのです。
この会談で来島村上は秀吉に走ったので、後、九州の大名になりました
 が主家、河野家を滅亡に追いやったことは周知の通りです。

> 別件ですが、宇都宮豊綱の子豊治の存在も確認できました。
> 『豊治は姓氏を荻野與右衛門と号して小早川隆景に陪従す』
> 桐見川大野系図にある、豊治女が大野(菅田)直之室という記述の信頼性も
> 高くなってきました。

●これも精査しないと断定できませんが
 大野(菅田)直行(直之)の室は宇都宮の女であることは事実です。
 豊綱の女説が大野系図では一般的で、豊治では年代が合うかどうかを調べる必要がありそうです。
 直之が娘婿の立場で宇都宮家を乗っ取ったと河野系文書は稀代の悪者として記録し、愛媛県史も
 同様な趣旨のことが書かれていると思います。
 確かに、河野家にとっては目障りな外様【河野家分限帳】の家臣と記されます。
 長曾我部元親と連携して河野家に敵対していますが、なにか理由があるようです。
 前出の兄、直秀(隆直)は弟、菅田(大野)直之に同情的です。
 下世話に言う、嫡子グループと庶子グループの対立のように思えます。
 古田村大野系図はどちらかと言えば庶子Gに近い立場にたっています。
 これに対し、上川村大野系図は宗家の立場で書いてますが、こちらも庶家です。
 「正統大野譜図」と仰々しい名前を系図の冒頭に付けてますが、様々な大野系図があって
 迷惑したことによる題名と好意に私は解釈していますが正統ではありません。

 大野の嫡孫系は?と言われると非常に難しい。

 ある系図は直昌は嫡子を廃嫡し、宇都宮の一条家からの出戻りの女を再正室とし、大野家が宇都宮家
 の什器を継承することにより、大野家、宇都宮家は合体したとしるす。
 こちらの立場を採るのは「大野系図讃岐屋本」です。

 まあ、ぼちぼち調べます。虚実が千年以上にわたり複雑に絡んでいます。


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