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  • Re: 牛福通直は河埜を名乗る

  • 投稿者:けんい
  • 投稿日:2011年 5月18日(水)19時31分41秒
 
> ●来島は屋代島の一部、能島村上は江田島能美島一部と鞆の一部を毛利から安堵された意味です。
安堵ではなく、宛行ではないでしょうか?
厳島合戦以前に、両氏がそれらの場所に領地を得ていたということですか?

>  毛利は河野家を傀儡にすれば領地を物理的に獲とくする必要はありません。
>  全部自分の支配権が間接的に行使されますから。
毛利氏は、帰属する国衆にさえ支配権を行使できないのに、他大名に支配権など行使できるでしょうか。
そもそも物理的な利益のない支配にいったい何の意味があるのか理解できません。

> ●大きく河野家そもののとして左右したか来島村上は「筋目が違う」との内訌に発展したのではないでしょうか?
どのことを指しているのでしょうか?

> 能島村上は河野家に従属した認識はなかったと思われます。
能島村上家の通直書状を見ると。天正年間は河野氏家臣として扱われているようですが。


> ●萩藩閥閲録、同譜録、三家誌、毛利十八代史を参照願います。
「毛利家文書」といえば普通「大日本古文書」で活字化されているものを想起します。
毛利家関係の諸史料とでも言っていただいた方が誤解がないと思います。

> いろんな論文の平岡親子が実権を握っていた根拠がわかりません。
最近のものでは、『四国中世史研究』の山田康弘氏や中平景介氏の論文が詳しく触れています。ご参照ください。

> 平岡家は河野一族ではありませんし、村上、戒能、大野等と閨閥関係を構成して河野家内の
> 「今太閤」の感じです。何故、河野通直の絶大な信頼を得たのか未だ分りません。
多くの国衆に影響を与える強大な権力を持つ存在が、大名家の動向を左右するのはごく一般的ではないでしょうか?河野氏に限らずどの大名も有力家臣の寄り合い所帯に過ぎませんから。

> 通直は卒年で24歳ですし、春禅院のマザコンと思われます。
ご想像でしょうか?

> 平岡と大野家は本来敵対関係で戦闘をしています。この和平条件として平岡房実の娘を嫁に迎えたとされますが政略結婚(質)と思われます。
政略結婚でない婚姻は滅多に存在しないでしょう。平岡・大野の婚姻は、川岡勉氏が「天文伊予の乱」と結びつけて解釈されてますね。大野氏が大内方と反大内方で抗争し、房実女の子である直昌が家督を継承したと。

> ①信長に味方し毛利家と縁を切れとの信長代理秀吉の使者に対し、河野家は毛利は親族故そのような
>  ことは出来ぬとした説(最終決断は『春禅院」』の模様)【大野系図】(一応河野家筆頭家老系図)
大野氏を河野氏筆頭家老とする根拠を教えていただけますか?
大野氏は一次史料が少ないようで、河野氏とどのような関係であったかは興味があります。


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