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  • 牛福通直の葬儀はどこ?喪主は誰?

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 1月17日(火)21時10分22秒
 
通直の命日も史料によりバラバラである。
天正15年3月7日卒【伊豫 長福寺河野系図】
天正15年4月5日卒【伊豫 天徳寺古文書】
天正15年7月9日卒【萩藩閥閲録・河野通恒文書】
天正15年7月13日卒【小早川隆景書状】
天正15年7月14日卒【予陽河野家譜】【高野山上蔵院河野家過去帳及び通直・永寿供養塔刻卒日】

私は7月9日卒説を以前から支持している。

それはさておき葬儀は何処で行われたのであろうか?

通直の法名となる「長生寺」は天正15年の卒時にはまだない。

地元史料によると竹原新城村の法常寺跡に通直を仮埋葬し、翌年、小早川隆景の芳志で建立された長生寺に本葬
されたとされ、どちらの法要も営なんだのは「瑚月霊珊禅師」とされ法常寺住職であり、また長生寺開基とされる。
伊豫の史料に「通直を法成寺に葬る」とあるのはこの経緯を知っている古文書からの引用と思われます。

通直をすぐ「長生寺」に葬ったと説明する古書は時代が後と判断できます。

法常寺(ほうじょうじ)は法成寺、法浄寺、宝丈寺、法条寺と記す古文書も同義とされます。

喪主は誰が勤めたか記録はまだ見つからないが、通直母「永寿」と思われます。

出典を今、探索中ですが通直の正室「矢野」は参列していなかった可能性もあります。

通直の急死の知らせに慌てて竹原に渡海する「永寿」の記録とともに
同時期にさっさと竹原ではなく三原に里帰りする「矢野」の記録もあります。

これは通直自害による身の振り方を毛利家から「永寿」と「矢野」に直接指示した可能性があります。
(「矢野」は大野毛利家に後年、嫁ぎます。)
これが事実なら、この時、九州にあった小早川隆景は「蚊帳の外」の扱いです。

7月9日に三原にいた毛利に何があったのか?
謎は益々深まるばかり・・・・・。


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