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  • 牛福通直母の名の変遷

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 1月18日(水)13時55分30秒
 
通直母は宍戸隆家の娘、父は来島通康とされ(西尾和美)とされ通宣の跡の河野家を継ぐとされます。
彼女の名は下記のように色々と記録される。
俗名がまだ分らない。

「したし」【御仕出】  =天正15年7月24日付 小早川隆景書状に有り。
「五もし」       =天正15年7月12日付 毛利輝元書簡に有り。
「宮原大方」      =文禄5年7月28日付  小早川隆景書簡に有り。
「春禅院」       =天正9年(10年?  大野系譜各種に有り、その他伊豫文書多数。
「永寿」        =牛福通直の没後、号を永寿としたらしい。
「春松院」       =文禄3年「春松院殿天遊永寿」として宍戸喜左衛門法要す【上蔵院過去帳】
「天遊永寿」      =文禄3年「春松院殿天遊永寿」として宍戸喜左衛門法要す【上蔵院過去帳】

以前から気になっていたが、「したし」【御仕出】も「五もし」も高貴な女性への尊称のようである。
「宮原大方」は(みやはらおかた)は書簡の時期からすれば、竹原宮原地区に住んでいた奥方もしくは御母堂
様の意味らしい。よって双方とも当時の普通名詞である。
「春禅院」が古書に一番多いのであるが、これは院号からして
夫とされる村上(来島)通康の没後、永禄10年髪を下ろして「春禅院」と号したものと思われる。
子の通直は翌年2月に河野宗家を継ぐとあり、これは2月21日とされ、、なぜか良く分らないが元服式と
相続式を同時にしたようである。
毛利輝元書状によると2月21、22日に小早川隆景と毛利元春が湯月城に行っている。
21日元服、22日惣領相続と思われるが、21日に式典はすべて終り、22日は飲めや歌えの大宴会だったの
かもしれない。
ここで留意すべきは通直相続に毛利家の意向が強く反映されていることである。

通直母の呼び名は上記のような変遷と思われる。まだ俗名は判らない。

「古文書」がどの名を使っているかによって成立年も推定できる。


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