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  • 河野牛福通直の子、現る

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 2月12日(日)12時14分55秒
 
古い資料を整理していましたら、牛福通直の子の記述が見つかりました。
八年前には入手していたのですが、当時はなんら意識してなかったのでしょう。

元史料は通直末裔とする「芸州・牧野氏系図」となります。

同書によると、
「通直の子、四郎通信は天正13年に秀吉に国を奪われた時、小早川隆景にお預けになり、その子右衛門通修は
 二人の男の子を伴い密に予州を遁れ、安芸宮島に渡り、後に、高田郡市川村檜山に移り、後、毛利輝元より
 檜山・杼谷・正木・弓投の四ケ所を与えられ客分として暮らした。
 慶長三年右衛門通修は隠居し、長男通知を杼谷へ分家し、三男通親を市川村へ別家させた。
 ところが慶長五年の関ヶ原の戦いで西軍が破れ、毛利氏も長州に引き移る通修親子にも誘引があったが
 通修は檜山に留まり郷士となり、福島正則の時代に帰農する」とある。

 毛利について行っておれば毛利家家臣で明治を迎えたことでしょう。
 しかし毛利家は通直の子が居ることを知っていながら何故宍戸の孫を通直の養子として立てたのでしょう?
 なにか複雑な経緯があるように思われます。
 築山通軌は文禄元年4月6日の秀吉の筑前下向時、三原八幡宮で戦勝祈願をするとの事前情報により
 秀吉暗殺計画を立て河野縁者に激を飛ばし400名を集め待ち受けたが事前に情報が漏洩し事ならずと
 されます。これが世に云う「三原八幡藪事件」のことです。
 この事件そのものが「大逆罪」となりますので系図から文書からすべて隠滅を毛利家は図ったとされます。

 この辺りは芸州の方達に探索を御願いしたいものです。


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