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  • Re: 福岡藩の大野家

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 2月24日(金)15時16分39秒
 
> ◎神谷様、呑舟様、福岡藩の大野家についての情報を色々と有難うございます。
> 小田留義氏の著書から関係する部分を3枚UPします。
> ただ、この文章で加賀守直義=村上(大野)左馬右衛門としているのは後世の二次史料や大野系図からの引用だと思います。
>
> 東大史料の「大野三郎左衛門 吉乗」条についてですが、
> 慶長6年11月11日付けで黒田長政より知行宛行状により五百石賜ったとされるのは、大野勘右衛門 直生でしょうね。刊本「福岡藩初期(下)」に大野家文書として取り上げられています。
> この文書が東大史料の「筑前大野文書」とは別物なのかどうか、私にはわかりませんが・・・。
>
> また、UPした小田留義氏の文章では、深江の首を取ったのは九太夫(休也)氏重のことになっていますね。

●この小田留義氏の文章の元々の底本は大野系図上川村本ですよね。
 それを転写した土佐大野系図にも引き継がれると思われます。
 ここは大野系図の中でも混乱しています。NAOKO氏は比較考証「大野系図」をお持ちですから
 すぐ分ると思います。上川村本以外の情報は「大洲旧記」「伊豫温故録」石垣原の話等は市販の「黒田家譜」
 からと思われます。上川村本は大野直幸の子供として乗せます。大洲珍丸本は直幸を直好としますのでこちらを
 加賀守大野直義としているのかも知れません。直幸も直好も直義も本姓は村上ではありません。」
 いづれの大野系図も大野朝直の子として一致します。他の人には分りませんのでUPします。

 小田留義氏は上川村本より土佐桐見川大野系図をベースにした可能性が高いと思います。

 【土佐桐見川大野系図】
直幸
明応四乙卯年(1495)八月十二日誕生
徳壽丸 右近 加賀守
石手滝城代 大洲城主近江守
天正十三年筑前国退 大野左馬衛門ト改

 【土佐桐見川大野系図】
直生
勘右衛門 後黒田長政仕士五百石領

 【土佐桐見川大野系図】
氏重
久大夫 黒田長政仕士知行七百石

 【土佐桐見川大野系図】
吉乗
三郎左衛門 黒田如水仕士300石領

傳云 天文三(1534)申牛年 太田中
田渡邑 新田八幡宮父直幸再興
天正十三年(1585)小早川隆景 賜於
当国小早川興大野兼而神文有
約使僧来曰高松弓箭之時援兵
之芳志不可忘却者不及退城
秀吉愠其可解之因而恵瓊領之内
領之居士居城
仝十五年(1587)小早川賜於筑前国
恵瓊移彼州也
直幸男直生 二男氏重 四男吉乗
供而移干同州 文禄元年(1592)
父 九十八才趣 高麗陣有戦功
男直生高麗陣中有高名
慶長五年(1600)黒田如水為兵衆
豊後石垣原合戦、大友家司打取
又左衛門賜五百石
氏重 高麗陣有高名 慶長五年
石垣原合戦大友義龍之先陣
霞ノ母衣武者討取 深江善左衛門
賜七百石
吉乗 高麗合戦有軍功、慶長五年
石垣原合戦有戦功、賜三百石
三十一代々黒田家奉仕
子孫繁 干 筑前也

 


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