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  • Re: 福岡藩の大野家

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 2月27日(月)10時53分52秒
 
NAOKO氏の「筑前大野家譜」送着の御陰で探索が進みました。
この「大野家譜」は長男大野直生家のものと判明しました。
以前UPした金竜寺墓誌は直生の弟、大野吉乗家と分りました。
親の左馬右衛門直吉は出自が複数あり、まとめると下記のようになります。

① 【村上図書系図】【宮窪町史】等は
   村上水軍の宗家能島村上系とします。

②【予州大野系図(上川村本)】は大野直幸の子とします。

 私は①が正しいと今のところ見ています。

 筑前大野忠右衛門は出自を混乱して認識している可能性があります。
大野忠右衛門家は大野左馬右衛門直吉の三男吉乗流と認識します。
福岡県立図書館蔵の「大野家譜」は、直吉の長男直生家の系譜でした。
即ち筑前大野家本家の系図となります。

この系譜によると直生の母は村上通康の妹としていますので、直吉は通康の子では
ありません。忠右衛門は母親の実家を遠祖と取り違えたものと思われます。
当時は三島村上内部で婚姻は盛んでしたから能島村上の男が 来島村上の女を娶るのは
普通です。

「筑前大野家譜」の記述を元に先ほど長男の大野直生の菩提寺をようやく探しあてました。
 10年かかりました。

 たぶん弟 吉乗の墓もここと思われます。
 私が探している養父 大野隆直(直秀)の墓はここには有りませんでした。

 確認の意味でその寺に電話しましたら住職が大野直生が建立した寺で墓もあり
 今は檀家ではないが子孫の大野家の方がお参りに見えられるそうです。

【筑前大野家譜】
 「寛永年中 大野直生創建 遠賀郡利松村 正願寺」

 現・福岡県北九州市八幡西区東筑2丁目8-35
 浄土宗 正願寺                でした。

 また、長男直生家は予州大野家「通字」の「直」を踏襲していました。

 大野左馬右衛門家は出自は複雑で
 家紋は河野家家紋(折敷縮三文字)と大野家家紋(堅木瓜ニ引両)と村上家家紋(丸に上紋)を
 継承し使いわけているようです。
 通字は大野家の「直」と村上家の「吉」を使用しますが河野家の「通」は契約外なのか使用した形跡
 がありません。
 河野家から「通」を契約して「通」を使えるのは信濃守村上(来島)通昌の直系のみに限られている
 のかもしれません。契約することは一族とは認めるが本来の親族ではないと認識されていたのかも知れません。
 来島は外戚だからの制限なのでしょう。
 三男吉乗家は村上系を踏襲しています。長男直生は大野系を使用しています。
 二男直成(氏重)情報はまだつかめていません。

 代が三代以上離れると同根でも伝承が変化するものですね。




 


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