投稿数上限に達したので書き込みできません

  • [116]
  • Re: 大坂夏の陣に於ける大野直載討死を考える

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月12日(木)04時31分12秒
 
> > 前述のように「道明寺合戦に於いて亀田大隅と組(一緒)に戦い討死した」と解釈すれば
> > 大野家断絶後の末裔達のその後の軌跡と辻褄があってきます。
> >
> > 上記の各合戦は「大坂夏の陣」の中でも大坂南部から大坂城を目指す一隊で他にも各方面から攻撃されています。
> > 大野家末裔達が仕官したとされる主君家がすべて、この南方勢の中にいます。各主君は・・・。
>
> ●大野関係者が一人抜けていました。それを含め少し詳しく述べましょう。
>  NAOKOさん検証を御願いします。
>
>  いづれもすべて徳川方です。河野家系稲葉家、一柳家も徳川方ですのでやはり総て「アンチ豊臣」です。
>
>  ①土居大炊頭(総大将徳川秀忠の側陣) (土井家臣大野直綱参陣か【慶長10年以降の仕官】)
>                        【天王寺の戦い】
>
>  ②紀州徳川家   (土居家臣大野から別れ紀州徳川藩大野直椿(参戦は時期的に不明))
>
>  ③井伊掃部頭 (彦根井伊家家臣大野清兵衛利盛(時期的には参戦))
>             【天王寺の戦い】
>
>  ④黒田筑前守 (黒田藩士大野家三兄弟・直生、氏重、吉乗、参戦の可能性あり)
>             【天王寺の戦い】
>
>  ⑤総大将徳川秀忠  (秀忠室奉仕大野河内(慶長15年以降の奉公と思われる)
>             【茶臼山決戦】
>
>  ⑥浅野長政  (大野直載が浅野家家臣亀田大隈と組んでいたなら、後の浅野分家赤穂浅野家家老
>          大野九郎兵衛との流れもやはり不思議ではない)
>             【小松山から天王寺合戦まで】
>
>  ⑦藤堂大学頭 (藤堂家家臣大野文右衛門直次(直之の子)参戦の可能性あり。
>             【八尾の戦い】

 ●大坂冬の陣に参戦の大野家末裔がもう一人いました。

  ⑧松平隠岐守定行【家康の甥】初代松山藩主 龍王城主大野直光の孫、大野五右衛門
   【夏の陣の時は京都二条城を警固】

 大野直載は彦根井伊家家臣大野清兵衛利盛の兄ですのでやはり徳川方浅野長政に属していたと解釈するのが
 自然と思われます。直載も利盛も五右衛門も龍王城主大野直光の子や孫達になります。
 松平定行は家康の生母「於大の方」の嫡孫ですから、大野河内が徳川秀忠の室「江」に奉仕したとするのも
 このあたりのコネクションかもしれない。

 「浅野家分限帳」及び「親類書」を探さなくてはならなくなった。
  この中に大野直載がいてその数代後に大野九郎兵衛知房
  が赤穂浅野家に仕官していれば、出自不明とされる「赤穂藩家老大野九郎兵衛」は
  伊豫大野家末裔と証明される。


スレッド一覧

  1. お知らせ(11)(管理人 今城)
  2. 平岡氏の家系(37)(KenKen)
  3. 道後 義安寺(10)(呑舟)
  4. 伊予黒川家と正岡家(81)(呑舟)
  5. 芸州 河野家末裔たち(54)(呑舟)
  6. 丸に九枚笹(4)(つくね)
  7. 言葉の歴史(ことのはのときのながれ)(2)(呑舟)
  8. 河野系図異同は通信以降に始まった?(15)(呑舟)
  9. 予州 大野家について(133)(呑舟)
  10. 水軍フェリー、風前の灯火(5)(maru阿弥)
  11. 海賊のお話(29)(呑舟)
  12. 越智家・河野家家紋を考える(29)(呑舟)
  13. 越智河野氏の出自や如何に?(134)(管理者)
  14. 河野水軍と仏教(20)(岩崎山法栄寺)
  15. 湯月城リサイクル作戦(25)(呑舟)
  16. 再び「笹ケ峠の合戦」へ(40)(管理人)
  17. 牛福通直と平岡氏(51)(呑舟)
  18. 今城伊豆守通興の子孫たち(17)(伊豆守直系子孫)
  19. 戒名は難しい・・・・(6)(呑舟)
  20. 河野家文書を見る(5)(呑舟)
スレッド一覧(全43)  他のスレッドを探す  スレッド作成 掲示板に戻る

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成