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  • Re: 大坂夏の陣に於ける大野直載討死を考える

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月14日(土)03時14分22秒
 
NAOKOさんヘ
 ■流石に丁寧に読み込まれていますね。
  私はだいたい「般若湯」つまみにしながら書いてますので時折脱線し、呂律が回っておりません(笑い)


>   ◎大坂の陣から大野関係者を検証していく視点は、私にとっては新鮮な話題です。
>     系図を時系列に見ていくのがせいぜいで、横軸の関連まで検証する余裕がなかったので
>     勉強になります。

■以外と横軸の串刺しは面白いですよ、「系図」は時系列に書いてありますから、生年~没年が分らない
 人物のほう圧倒的です。「大野系図」もたくさんありますが同一人物で系図により異同が多くどちらが
 史実かを考える時に有効です。この時第三者の文書を判定基準としています。
 「大野系図」以上にたくさん有る「河野系図」などはもっと大変ですがビッグネームですので第三者関係文書も
 多くヒントはたくさんありますね。この場合第三者文書は「一次史料」でなくてはなりません。

 以前お送りした「大野家大系図」「河野家大系図」「村上家大系図」を壁に貼って縦に眺めますと
 「?????」がたくさん生れてきます。
 一族内でも矛盾が発生しますが、別家ですが密接に関連する「大野・河野・村上」内でも?がたくさん
 ありますね。
 明らかに間違いが多い、系図を信用度を下げていきますと、おのずと本来の系図が浮かび上がってきますね。

> ①土居大炊頭 (総大将徳川秀忠の側陣) 【天王寺の戦い】(土井家臣大野直綱参陣か?慶長10年以降の仕官)
>
>    ◎大野直綱は直之の息で、天正5年誕生(1577)、寛永11年(1634)卒ですね。
>     上司の土井利勝(1573~1644)は、以前呑舟師がご教示くださったように慶長10年(1610)に
>     大炊助叙任、慶長15年徳川秀忠の老中拝命ですから、慶長10年以降15年前後の仕官という推   測ですね。
>     大野直綱は慶長5年(1600)に奥州会津へ赴きますが、会津で卒したとする大野系図と、そう記   録していないものがあって断定できませんが、徳川軍と一緒に引き返してきて(これは私の想像
>    です)、武州で浪人していた(紀州菅田家譜)とあるので、土井家臣として大坂の陣(慶長19~2   0年)へ参戦した可能性はあります。

■直綱の会津での卒は「系図」の混乱とみています。徳川軍は奥州会津を目指していただけで
大坂で謀反が起こったので小山(栃木県)からUターンしています。この場所は今の小山市役所の
隣接地ですが、この城跡に昔、花見にいったことがあります。
会津卒は後年のことだろうと思っていますので「系図」的には間違いでもないとも考えています。


> ②紀州徳川家 (土居家臣大野から別れ紀州徳川藩大野直椿 参戦は時期的に不明)
>
>   ◎大野(菅田)直椿は上記の大野直綱の息で、直椿の室は紀州徳川二代藩主光貞(1627~)にお    乳を あげていた乳母の娘です。紀州徳川初代藩主頼宣は大坂冬の陣(1614)で初陣(天王寺    付近布陣)。 翌年の夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは後詰めで活躍(Wiki情報)。
>    土佐大野系図では、直椿の仕官は天和3年2月(1617)なので、紀州徳川家臣下として大坂の    陣参戦はないでしょう。ちなみに徳川頼宣の紀州転封は1619年7月19日です。
>    直椿はこの時紀州へ移ったのではと想像します。それ以前の紀州は浅野家の所領だったと記憶    します、どうでしょう。

■これはNAOKOさんの解釈で合っていると思います。
 言葉足らずでしたが、後の大野家の末裔たちがほとんど徳川方に居ることの傍証として書いただけです。
 その意味では「大野河内」も同様です。
 尚、『直椿はこの時紀州へ移った 』との解釈は二つできます。
 即ち、「紀州家に移った」とするのと「紀州(和歌山県)に移った」2つです。
 私は後者「和歌山へ移動」は無かったと思っています。
 「紀州藩大野直椿家」は代々江戸詰で和歌山城下には住む家屋敷も無かった感じがします。

 根拠は
 「紀州家中系譜並びに親類書書上げ」を見る限り、地元(和歌山)の臭いが全くしません。
  婚姻関係を結んでいるのも殆ど「江戸詰衆」のような感じです。
  さらに同書は明治初期まで書き重ねられていますが、和歌山市周辺に子孫と思われる「菅田家」が
  見当たりません。
 「江戸詰衆」が世襲で江戸のみ在住はあるか?の問に、「和歌山県立文書館」は
  「あるでしょう」とのことを論拠としました。

 なにげないNAOKOさんの一言も解釈が分かれていく例でもあります。
 このような表現は「系図や古文書」に多いのが悩む元でもあります(笑い)

 余談ですがこの紀州浅野家が国替えで安芸広島に転封されるとき途中、能美島の山野井家で休息します。
 その時山野井家は新藩主に蜜柑を差し上げたと、越智家末裔「山野井文書」は語ります。
 この能美島の山野井家で「屋代島大野家三代目」直房(是水)は生まれたと「屋代島大野家譜」は語ります。

> ③井伊掃部頭 (彦根井伊家家臣大野清兵衛利盛(時期的には参戦)【天王寺の戦い】
>
>   ◎「侍中由緒帳」に載る差出年譜では『大坂の陣において、利盛(直昌の養子、実父は舎弟直     光)は 井伊家家臣の松居清勝方にあり、陣小屋にて井伊直孝(二代藩主)に召出され参陣』とある。
>
>    同書の解説文では、『初代利盛は慶長18年(1613)に彦根に来て、松居清満方(ママ)におり、    冬の陣(ママ)の節、小屋拝領を願い出、直孝に陣場で対面した』とある。
>
>    また、土佐大野系図では、利盛の参陣は元和元年(=慶長20年、1615)とし、夏の陣のこと    としています。細部にそれぞれ異同がありますが、利盛の参陣は史実のようです。蛇足情報ですが、利盛(前名直盛)は、京の二条家で成人したようです。

■「侍中由緒帳」は彦根井伊家の 「人事記録簿」ですので、信頼度は「萩藩閥閲録・同譜録」よりは格段に
 上りますのでそれぞれがほぼ「裏」を採った記事と思われます。将軍家の「寛永の譜」などよりはるかに
 正確性は高いと思われます。

 問題は慶長18年に松居氏に利盛を誰が推薦したかが知りたいところです。
 見ようによっては松居清満の家来(井伊直孝からすれば陪臣)か居候のようにも見えます。
 「冬の陣」の時、「初お目見え」して、その戦功で直臣になったと思われます。

 又「二条家に成人云々」この流れも追う必要があります。
 二条家は公家ですので、「氏素性」の知れないものを養育することはありません。
 この当りが、土州幡多の一条家か、南予の西園寺家がからんでいると見ています。
 どちらも「公家氏」です。
 「大野備後」の中和門院女房となるのもこれらの人脈の中にあると見ています。

 なお蛇足ながら、「元和元年大坂夏の陣」と書いてある記事は後世の「孫引き記事」と思っていますので
 その文章の信頼性は、私は「下」としています。

 ご承知のように「元和元年」に「大坂夏の陣」はありません。
 「大坂夏の陣」は慶長20年(1615)5月7日豊臣秀頼と淀殿の自害、大坂城落城により終ります。

 元和元年(1615)改元はその後の7月13日に後水尾天皇の代始改元とされます。
 「東大史料編纂所」のデータベースもこの当りは間違っています。
 東京大学のブランドに引きづられてはなりません(笑い)

長くなりますので、このへんで。

追伸

大野家末裔たちは伊豫で離散したのちも「文通」し合っていたと思われます。
大野直尚が150年以上前に分れた親族の住所やまた「文通」の記録をみると一族意識は強かったと
思われます。
明治以降の文明開化の影響により、一族よりは個人の考え方が広まっていって
現在では一門が疎遠になっているものと思われます。一族意識は日本よりも、朝鮮、朝鮮よりも中国
に現代でも強固です。彼等は未だに子供が生れるたびに系図に書き込みます。
これを几帳面にするのは日本では「皇統譜」です。

あっ、蛇足の蛇足・・。どうでもいいことですが・・・・。

「乳母」は2つ意味があります。
 文字通りおっぱいを飲ます係りは「乳母(うば)」とされます。
 別の意味は帝王学を教える意味で教育係りとしての乳母は「乳母(めのと)」です。
 「大野系図」に出てくる乳母は「めのと」の方と思われます。でないと周りへの影響力がありません。
 この乳母(めのと)で一番有名なのはこのサイトの常連、徳川家光の乳母、河野系「春日局」
 です。よって「めのと」はおっぱいが出なくてもいいのです。男をさす場合もあります。
 余談ですが、皇室は代々「めのと」によって皇太子を養育してきたとされます。
 この慣習を破り、みづから「子育て」をしたのが美智子妃殿下とされ、当時賛否両論渦巻きました。



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