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  • Re: 忠臣蔵義商「天野屋(大野)利兵衛(九郎兵衛)直之」を追う

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 4月24日(火)21時18分50秒
 
大野直常が大坂の天野屋養子として引き取られたことは分ったが大坂のどこか未だ分らない。
これについては「屋代島大野家譜」は大野九郎兵衛直實の子として
「天野屋九兵衛子孫摂州大坂上平野町に住す」とある。父親の名は混乱と思われるが住所はわかった。

この「大坂上平野町」が何時の時代のどこか精査の必要はあるが、豊臣末期か徳川初期の大坂は「東横堀」に
平野橋があり、その大坂城よりの初期の市街地の一角と思われる。その隣りの橋が思案橋で、「難波雀」に出てくる「天野屋利兵衛」の住所「思案橋濱」の住所とほぼ同じである。先日のオークションの古文書には寛政七年
時には「内平野町濱内」と記されるがこれもほぼ同一場所と思われる。この時は屋敷の広さは南角で「表口十五間
裏行凡十六間」とあるので250坪近い商家としては大店である。

平野町とは秀吉時代に「平野郷」の商人を集めて住まわせたとされる古い商人街であり
大坂城下内にある。
本来の「天野屋」は平野郷の住人「天野さん」だったのかも知れない。
彼の通しの名が「利兵衛」と思われるが「直常」以降は「利平衛」と大野家通し名「九郎兵衛」が
併用されている。赤穂浪士討入り時の天野屋は利兵衛ではなく九郎兵衛である。

新しい「弘化年間の大坂絵図」ですがUPしてみましょう。見づらいですが、
淀川にかかる天神橋の下に「東横堀」が掘られ淀川側から三番目の橋が「平野橋」その次が「思案橋」です。
この堀は「長堀」を経て「道頓堀」までつながります。今は東西横堀も長堀も埋め立てられわづかに
「道頓堀」を残すのみです。
初期のころは天神橋筋が商業の中心でしたが、江戸中期から東西の御堂が見える「御堂筋」が一等地と
なり現在では御堂筋両側が一流企業の集結地となりました。
金持ちが接待に使う「北の新地」と庶民の味方である南の道頓堀、宗衛門町を北と南に結ぶのが
地下鉄御堂筋線で、本町あたりで右にいくか左に行くかが懐具合との相談です。


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