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  • Re: 三菱財閥祖岩崎弥太郎は大野直之のDNAを継ぐ!

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 5月 6日(日)11時06分17秒
 
●詳細な内容有り難うございます。

 小野勝正以降が混乱しているようですね。
 養子に行ったり復姓したりで流れが複雑になっているようですね。

『 ①小野(片岡)庄左衛門勝正
(~1719・10・10)
 片岡家へ養子・郷士召出
 山内豊隆御用人・住城下
 弐人扶持切米七石 』

この人から一次史料を探さないとなんともいえませんね。
「片岡家なるものはどのような家でしょうか?
 なぜこの時代に郷士召出されたのでしょうか?
 山内豊隆御用人とあるが事実かどうか?
 (ニ人扶持切米七石)とは領地はなく七石のサラリーでしょうから
 とても貧乏です。御用人とは思えません。陪臣の可能性が高いですね。
 されど帰農者が郷士とはいえ士分に格上げですから当時からすれば出世頭かもしれません。

 これが片岡家養子として成ったことか小野勝正として成ったことかが知りたいところです。
 山内家家臣であれば末端といえども禄を食みますから史料は残っている筈ですが・・・。

次に勝正の長男とされる為憲ですが、両人とも大野家「通字」の「直」でないことは
片岡家の通字を使用した可能性がありますので、勝正には養子に行く前に「直○」といった
初名がある筈なのですが・・・。
また勝正は長男に大野家長男の名乗り「九郎兵衛」を付けていますから大野家の伝統は守っていますね。

『権蔵
 諏訪家継グ・住安喜浦
 文政6年小野敬蔵(慶蔵?)謁見直徳/豊川良平の「指出し年譜」には先祖が諏訪家とあるが詳細は不明』

この人物はよくわかりません。
「謁見直徳」の直徳とは誰のことでしょうか?

豊川良平の「指出し年譜」の年譜はどこに差し出したのでしょうか?
現物は残っているのでしょうか?



『②小野九郎助為憲
(~1763・12・2)
 前名・片岡九郎兵衛
 小野姓ニ復ス』

これはどのような事情で復姓したのでしょうね?



> >美和の祖父、小野作吾を小野権蔵の子とするものと、小野直之の子とするものに系図により別れますね。どちらが正しいのでしょうね。
>
> ●小野直之の子と記述したのは、地元の郷土史家K氏ですが、問い合わせたところ「間違いでした」という回答をもらいました。K氏は根拠となる史料をお持ちでないようです。小野直之は大野直之の7代後裔です。
>
> 大洲城主、大野直之―(4代略)-小野勝正-為憲-直之(養子)-好直-(後略)
>
> では、小野作吾が権蔵の子であるかというと、これを断言できる史料を今のところ私は見たことがありませんが、土佐名野川の研究家N氏はそのように解釈しています。問い合わせてもN氏から明確な説明がないので、私なりに史料を検索した結果、『美福門院手記』(美和の回顧録)と弥太郎の従弟・豊川良平(前名、小野春弥)の差出年譜(明治4年)に行き当たりました。小野作吾が美和の祖父であることは、彼女の回顧録から間違いないことです。以下少々込み入った話になります。
>
> 豊川氏年譜によると、初代から4代目までは敷地姓です。
> 5代目が元禄2年(1689)諏訪姓へ改姓します。
>
> 6代、小野左太郎(養子) 享保3年(1718)相続
>
> 7代、諏訪作吾 元文5年(1741)相続、改姓して小野作吾。地下浪人で安芸浦西浜住、寛政10年(1798)病死
>
> 8代、小野慶蔵 寛政10年(1798)相続、文政10(1827)病死
>
> 9代、小野順吉 文政10(1827)相続、慶応元年(1865)病死
>
> 10代、小野春弥(順吉養子) 相続。 明治4年豊川良平と改名
>
> 美和の回顧録では豊川良平は、彼女の弟・篤治の子であり、兄順吉の養子です。
>
> 土佐名野川大野系図では、「小野勝正の子・権蔵が諏訪家を継ぐ」とあり、年代的にも符号すると思われるので、諏訪家6代の小野左太郎が権蔵のことではないだろうか、ということになります。権蔵の別称が左太郎であるという史料をみたことがないので推測に過ぎません。系図上は以下のようになります。
>
> 為憲の弟・権蔵(左太郎か?)-作吾-慶蔵-順吉・とき・美和・篤治
>
> 美和の子が岩崎弥太郎、篤治の子が豊川良平(小野春弥)で順吉の養子です。

●上記がややこしいですね。美和の祖父作吾は直之の子か権蔵の子かはたまた「養子」か
 紐解く必要がありそうですね。複雑になってはいますが、どちらも間違いでもなさそうです。
 「美和の手記」の信頼性は精々祖父までと思われます。
 我々もそうですが祖父まではほとんど記憶にありますが、曽祖父は殆ど相手が死んでいるか
 こちらが幼なすぎるかで記憶に残らず伝承のうろ覚えです。

> 補足情報として、名野川小野家出身の歌人・大町桂月が学生の頃、豊川氏の家紋を見たとき、小野家と同じだったので同族だったのだなと回顧しています。「横木瓜二引き」だったのでしょうね。また、刊本「豊川良平」では、豊川氏を大洲城主の大野直之、さらに大伴家遠祖・道臣命の血統を引く名家の末裔であると記しています。

●刊本「豊川良平」も変な話しですね。
 これの筆者は誰でしょう?現代の人ではないでしょうか?

古い大野系図の殆どは始祖を「天智天皇の御子、大友皇子」に求めます。
決して道臣命の流れである「大伴家」で始まるものは例外的に「系図纂用・内閣文庫」と
「東大史料編纂所」所収の「大野系図菅田本」しかありません。この本も江戸末期か
明治初期の編纂物の可能性が捨て切れない代物です。
よってこの刊本は我々と同じ現代の知識で書かれたものではないでしょうか?

> 「弥太郎が大野直之の血統を引く」という周辺情報は揃っていますが、伝記や系図に頼りすぎていて、根拠としては弱いですね。やはり過去帳やお墓の調査が必要でしょう。どなたか情報をお持ちの方が、この記事に対してコメントしてくださることを願うしだいです。
>
> ●美和の子供たちは4人のようです。
> こと  (1832.4.14~ )
> 弥太郎(1834.12.11~ )
> さき  (1838~ )
> 弥之助(1851~ )妻は後藤象二郎の長女です。
>
> 美和の少女時代の奉公先、五藤正応がどういう人物か知りませんが、土佐藩家老の五藤一族かもしれません。
> 笑止な話をひとつ
> 美和と、岡本寧浦の妻となった姉「とき」を自家の系図に取り込み、兄弟の順吉、篤治は架空の人物であるという持論を、土佐史談に発表した方が過去にいました。有名人は確かに引っ張りだこですね。(ため息~)

●歴史上の有名人でかつ維新に志士たちもからんでいますので史料はたくさんあると思います。
ただスポットの当て方が違うので見過されているだけと思います。

たとえば「弥之助(1851~ )妻は後藤象二郎の長女です。」
の記事は歴史的には大変です。

岩崎弥太郎、後藤象二郎、坂本竜馬は明治維新史を知る者は格好の素材です。
この相関関係の中に弥之助が出てきますので史料はたくさんあると思われます。
ただ一般的には一番のヒーロー「坂本竜馬」に目が行きがちですね。

余談ですが現在でも彼を信奉する信者は会社のマークに彼の「海援隊」のマークを借用します。
携帯電話の会社の「ソフトバンク」なるものです。「二引き紋」が好きなようです。
もっとも岩崎弥太郎も三菱の社章に主家「山内家」の家紋と自家の「菱紋」とを合体させますので
いつの世も同じですかね。

近頃は竜馬にあやかろうと「船中八策」なる現代版を掲げる大坂市長も出てきましたね。
これに慌てふためく政府も野党自民党のていたらくは政治不信をあおりますね。

{ばっかでないの?}笑い

高知県の最大ヒーローは「坂本竜馬」のようですが、同胞、山口県はの最大ヒーローは
毛利公でも、高杉晋作でも伊藤博文でもありません。

すべての県民が「先生」として敬愛する『吉田松陰先生』です。

 【松陰先生無かりせば明治維新ははるかに遠し】


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