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  • 小野宗十郎直徳について

  • 投稿者:naoko
  • 投稿日:2012年 5月 8日(火)11時36分48秒
 
呑舟様
ご質問が多くて浅学の私にはお答えできないことばかりのようです。
小野(片岡)勝正と豊川良平の年譜は、山内家史料として蔵置されているもので、内容の真偽は一考を要しますが、一次史料と言ってよいものと思います。呑舟様の探究心にはいつもながらハッとさせられることばかりです。
年譜は手元にありますので、本日郵送させていただきます。私では気づかない新たな発見があるのではと思います。

【小野宗十郎直徳】についてですが
(1764・9 ~ 1831・3・10)
土佐名野川郷番頭大庄屋の7代目
墓碑銘 『伊予国浮穴郡久万庄大除城主 大野紀伊守利直十二代後胤 68歳』
とあるようです。ただ、利直を初代とするなら、十一代目になると思いますが・・・。朝直(直家)、利直あたりの混乱なのかもしれません。

直徳の通信相手は以下の面々です。
①大野正寛(松山大野家)
  伊賀崎城主直泰の子孫で松山候に仕官。文政5年(1822)に直徳と謁見の後、通信

②大野義雄(彦根藩大野家)
  直昌の息、利盛の子孫。文政11年(1827)通信

③天野屋九兵衛直興(大坂)
  直昌の息、直常の子孫。文政6年(1823)通信

④大野直壽(伊予小田上川村大野家)
  直昌の息、直清の後裔で大野(大伴姓)和五郎直尚の孫。
    直徳は、直壽が当主の時に上川村大野家の系図を転写しています。
    名野川大野系図には『文政5年直徳通信 右同年初而謁見家系書写ス』とあります。

⑤紀伊徳川家中の大野(菅田)家と通信していたかは不明ですが、子孫の情報が加筆されています。

ご存知のように、土佐名野川大野系図は出自が大友皇子ではなく、高皇産霊尊へ編集されています。編集時期は、直徳が大伴姓紀伊守利直の子孫であることを認識していることから、系図を転写してから死亡するまでの間と考えております。土佐桐見川大野系図の出自は大友皇子のままなので、この土佐大野系図2本の関わりは興味深いものがあります。
直徳が、上川村大野家の古文書をも転写して所持していたことが推測できる記事が地方史にありました。彼が残していたであろう覚書などを探索していますが、いまだその所在が掴めていません。



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