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  • Re: 小野宗十郎直徳について

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 5月 8日(火)14時52分5秒
 
> 年譜は手元にありますので、本日郵送させていただきます。私では気づかない新たな発見があるのではと思います。

●いつもながら有り難うございます。楽しみです。

> 【小野宗十郎直徳】についてですが
> (1764・9 ~ 1831・3・10)
> 土佐名野川郷番頭大庄屋の7代目
> 墓碑銘 『伊予国浮穴郡久万庄大除城主 大野紀伊守利直十二代後胤 68歳』
> とあるようです。ただ、利直を初代とするなら、十一代目になると思いますが・・・。朝直(直家)、利直あたりの混乱なのかもしれません。
>
> 直徳の通信相手は以下の面々です。
> ①大野正寛(松山大野家)
>   伊賀崎城主直泰の子孫で松山候に仕官。文政5年(1822)に直徳と謁見の後、通信
>
> ②大野義雄(彦根藩大野家)
>   直昌の息、利盛の子孫。文政11年(1827)通信
>
> ③天野屋九兵衛直興(大坂)
>   直昌の息、直常の子孫。文政6年(1823)通信
>
> ④大野直壽(伊予小田上川村大野家)
>   直昌の息、直清の後裔で大野(大伴姓)和五郎直尚の孫。
>     直徳は、直壽が当主の時に上川村大野家の系図を転写しています。
>     名野川大野系図には『文政5年直徳通信 右同年初而謁見家系書写ス』とあります。
>
> ⑤紀伊徳川家中の大野(菅田)家と通信していたかは不明ですが、子孫の情報が加筆されています。

●上記の情報で点が線でつながり始めましたね。

 少なくても直徳は親族五家の住所と当主の名を知っていたことになりますから戦国期から200年以上
 経っても付き合いはしていた証拠となりますね。江戸の大野家も屋代島大野家、徳山大野家、
 福岡大野家の消息も知っていたと想像されます。屋代島大野家には大野直尚が直接たづねて行って
 ますから上川村大野直壽から知らされていたと思われます。

 大坂天野屋の直興は私には初見ですが、たぶん 天野屋周蔵の孫でしょうね。
 大坂天野屋探索中ですが勉強になります。大坂天野屋子孫は現存するとされますのでまた一歩
 近付きました。忠臣蔵義商天野屋利兵衛(九郎兵衛直之)は討入りに連座し閉門となるとされますの
 で現天野屋は彼の弟、三郎兵衛が引き継いだものと推定しています。その子孫が直興なのでしょう。

 彦根藩の大野義雄は大野清兵衛一載の養子の義雄でしょうね。

 紀州徳川の大野(菅田)家とも連絡はとっていると思われます。この場合相手は、
 菅田九郎右衛門直次(1796~1837.2/3)病死 か
 菅田源吉直貞(1773~1847.6/28)病死
 と思われます。

 それぞれの書簡の内容がわかればもっと面白いのですが。

 大野正寛はよくわかりません。




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