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  • 大除城実測図

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 5月30日(水)10時55分59秒
 
今城師の情報により、現在の大除城の実測探査のこと。
ようやく昨日、久万高原町教育委員会の厚志により実測コピーを送付してもらいました。

七郭まである当時としては大規模な「掻き揚げ」形式の実態でした。
640M付近の空堀から694Mの最高度第一郭までおよそ50Mの急峻な崖が自然の防衛線となった感じです。
通常の侵入路が一本しかないのも堅固さを物語っています。
第一郭(天守台相当)の平地が凡そ180坪相当の平地と見られ、その他の郭平地を含めて1000坪前後
の平地に削った模様である。山をけづり1000坪の平地を造成する手作業は相当な労力を必要した
ものでしょう。

風雲急を告げる天文4年(1535)大除城は大修造を行なったとされます【大野家文書】その場所が
どこであったのかこの実測図では判明しません。石組み等の工法を検証すれば判るかもしれません
今後の研究が待たれます。
同年は【国分寺文書】【仙遊寺文書】によると河野家本城でも「湯付堀」の修造が行なわれ
「二重堀化」し要塞へ強化されたとされるので、当年の伊豫の主要な城は大修造が行なわれたと
思われます。他の拠点城の大普請の記録を並べると誰が何処から伊豫河野家所領に攻め入るかの
想定が伺われると思われます。

なおこの大除城の大改造をもって、河野関係文書は河野家の指示で配下の大野家へ土州境の守り
として城を築かせ、「災いを大いに除く」とし「大除城」と命名したと江戸期の書物あたりに伝承して
いったものと思われます。大除城は大野文書は「熊大代家城」と識別します。

大代家城は河野家の配下ではないはるか昔に築城されています。
「予陽河野家譜」や「予章記」は罪つくりです。




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