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  • 紀州菅田氏の系譜が届きました

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 1月28日(土)09時16分1秒
 
>>72
> No.7085の元祖についての記事が興味深いです。
>
●ようやくこちらも届きました。御三家の紀州徳川家の家臣録とは思えない、簡単なものですね。
 たぶん正式で且つ詳細なものは焼却したか、秘蔵され表に出ないようにされた可能性がありますね。
 幕末に官軍の討伐を受け、敗軍となった徳川家が家臣に類が及ばないように正式なものは隠匿された
 可能性があります。「今あるのは簡単なものと幕末のものだけでそれ以前を処分した」とのことから
 後に「在藩証明書」を発行する目的で簡便なのを残したとも考えられます。
 今、残っているのもよく見ると役職の履歴と禄高の履歴が殆ど消されています。
 これは職務の内容とその立場を隠匿する必要があったとも考えられます。

 ひまなときに文書館に聞いてみましょう。


> ①大野直之の子の直綱が「宇都宮、毛利と一戦の節」から数行、わからない文字がありますが、
> *豊綱が生け捕られたが、直綱は一類の儀に付き・・(う~む?)・・直綱が豊綱の領地を譲与され宇都宮の継養子になって・・・ですか?

●この条は直之を直綱と誤っていますね。伊豫の大野系図にも同様な記述がありますが、ニュアンスが違いますね
 「宇都宮豊綱が生け捕られて芸州につれて行かれたのを直之が相手の見張りを切り崩して連れて帰り、
  その恩で宇都宮の養氏となり宇都宮領を受領して、大洲(大津)城に移った」かのような記述ですが
  これは直之の条であって、豊綱を奪還した事実はないともされるところです。
  やむ得ないとは思いますが、「大津」を「大洲」と江戸期の表記にしてありますから
  原本はすでに江戸期に作られていたと思われます。

>
> 直綱は桐本では天正5年生まれ、上川本では天正8年生まれだから年代があわないですね、直之のことと混同していますね?

 ●はい そうですね。

> ②繁直が足利義政よりのご教書数通、並びに直行(ママ)までに諸家よりの来書、神文等18通を所持とある。菅田家はすごいかも?神文というのはどんな書簡をいうのでしょうか。

 ●これが史実ならすごいですね。
  大野家にとって一番重要な将軍の御教書等の文書18通を大事に所持しているならすごいです。
  もし原本なら宗家となります。
  繁直から数えて七代目として直之の前をすべて飛ばしますが、文書の秘蔵と云い、本来の大野家の伊豫の
  本貫地菅田を領有していることから、大野家再興の主繁直の直系筋が系図上正しいのかも知れません。
  ひょっとするとこちらが本家の可能性がでてきました。

  分家筋が小田に移り、さらに久万大除城に移ったとも考えられます。
  伊豫系系図にトリックがあるのかもしれません。
  嫡男を系図上、二男以下に取り替えれば済むだけで簡単に改竄できます。

  18通が出てきてそれが原本ならトリックが解明でいきるかもしれません。
  原本は宗家が引き継ぎます。分家はその写しがもらえる程度です。
  内容の文章は系図に書き込まれることが多いですが、その系図の所蔵者が主家とは限りません。

  「神文」は単なる「誓約書」です。
  「貴方を必ずお守りします」だの「必ずお味方します」等の「誓約書」で文の最後に必ず全国の有名な
   神様の名を羅列してこれらの神に誓って、と結びますから「神文」とよばれます。有名なのは熊野三社
   の牛王宝印(誓紙)を使うもので「神文」とか「起請文」とか呼ばれます。
   この用紙は今では熊野三山に行けばおみやげで売っています。烏が一杯刷られています(笑い)
   三社それぞれデザインが違いますから集める人もいます。

   この烏は指が1本多い烏で日本サッカー陣の旗にも使われます。
   この烏は「日本書記」にある神武天皇東征の時、熊野から大和を目指す道案内の烏とされます。

   なんてことはありません、大野家遠祖、大伴家の「道臣命」のデフォルメです。
   「道臣命」はカラス(烏)にされて今は全国のサッカー上ではためいて、選手の胸にも
   描かれています。良いことなのか?馬鹿にされているのか?複雑です。


 早い話が「嘘ついたら針千本飲みま~す」と書いて戦国時代は簡単に裏切りますので形式的なもののように
 なってしまいました。よって戦国期は神文は濫発していますから沢山残っています。


> 直綱、直偆父子が江戸で浪人(仕える主人はいなかった?)していたとありますが、四谷左門町のことは記載がない。
>

●これは今後の研究課題です。紀州の報告者は大昔のことを伝承でもわかって居なかったと思います。

> ③紀州菅田系譜では、大野吉左衛門豊充は菅田豊直の次男とあります。
> 桐本(名野川本も同じ)では、直綱の三男直廣の孫になっているので、桐本を書き換えなければなりません

●これはもう少し精査してからでいいでしょう。

●今回の「菅田吉右衛門豊直」家系譜で興味深いのは、
 家紋が「立木瓜ニ引」とあり、これは「堅木瓜ニ引両」紋と同じで伊豫大野家の本来紋です。
 慶長十三年の大野壽慶が日野林彦四郎に内緒で教えた「二引きが上」の説はやはり勘違いでしょう。

 替紋として「三ツ頭左巴」と「横木瓜ニ引」とあります。
 「三ツ頭左巴」は大野家裏紋として「屋代島大野系譜」(九州帝大蔵版)にも出てきます。
 伊豫系の大野系図には出てきません。
 由緒は二つ考えられます。「宇都宮家」家紋を引き継いだ。あるいは遠祖大伴家の神社である
 京都八坂神社の神紋を使用。(こちらは河野家が大山祇神社の神紋を家紋としているのと同じ理由)
 「横木瓜ニ引」は三河の大伴姓冨永家が使用しています。堅木瓜のように上下に細くしない
 通常の木瓜形と思います。

 幕紋に「黒併ニ向鳩」とありますが、これは大野系図の直義(たぶん直仲と同一人物)が大野家に養子に
 来た時の持参紋と思われます。彼は武州熊谷の熊谷家分家の芸州熊谷家から養子に来たとされ、熊谷家の
 家紋が「向鳩」です。又、彼から熊谷家通字の「直」が大野家でも踏襲されます。

 ●こちらも始祖を天智天皇 大友皇子から始まりますから、間違いは戦国以前からとなりますね。

 ●直之の女「備後」の足跡が理解できました。彼女は
 天正13年に早くも豊後大友家に12歳で預けられています。
 天正18年に17歳で結婚します。同年上洛しますが翌年豊後に帰ります。
 文禄二年に大友家没落で防州山口に移ります。(これは大友家を庇護した毛利によるものです)
 慶長10年に中和門院の女房となりますが、これは有力なコネが作用していると思われます。
 山口で庇護されていた大友は慶長5年に毛利から武器と兵を借りて豊後奪還を試みますが
 黒田如水によって石垣原の戦いで負けます。
 皮肉なことにこの如水軍に黒川さんちの曽我部五右衛門さんと大野隆直養子大野(本姓村上)左馬右衛門
 の子、長男勘右衛門直主、二男久太夫氏重、三男三郎左衛門吉乗は大活躍をして黒崎を経て博多に屋敷を
 移し明治を迎ます。(以前の福岡市博物館の大野家展はこの家です)曽我部さんは残念ながら討死しました。
 (別スレッド参照)
 これは豊後の「関ヶ原の戦い」と呼ばれるもので、同時に伊豫の関ヶ原の戦いとされる「松前の戦い」も
 行っており、こちらは隆直の嫡男、直政が河野牛福通直後継の河野太郎を総大将として、村上元吉の家老
 の立場で参戦し、敵方の差し入れの酒に油断して、元吉は討死して、直政は頬に大怪我をして、平岡さんが
 別働隊で頑張ってくれたのですが、本戦場の関ヶ原で毛利側西軍はあっさり負けたのでほうほうの体で
 竹原にかえります。
 豊後も松前も豊臣秀頼の朱印状を持って、徳川家謀反による城引渡しの正使の形を整えての「進行」で
 「侵攻」ではありません。
 秀吉の甥っ子(小早川養子)が裏切らなかったら、歴史は変わって河野家は四国すべてを領有していたかも
 しれません。この裏切りをそそのかしたのも河野家縁者とするのも皮肉なものです。

 江州栗田郡駒井中村領有の経緯はわかりましたが、故あって江戸で牢人は今後の調査対象ですね。

 江州井伊家に仕えているのはこの系列の可能性がありますね。

 紀州徳川家には村上吉継の子孫も仕官してますし、黒川さんの縁者も仕官とされますので
 結構 就職戦線は売り手市場と思われます。
 江戸期の固定化した身分制度による就職戦線より慶長年間までは就職自由の状態が見られます。
 「ニ君に見えず」などと「滅私奉公」を美徳にするのは江戸中期以降の考えに囚われると危険です。

しかし、一つ分ると次々と別の疑問が湧いてくるのが難儀です。


 


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