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  • 福岡藩の大野家

  • 投稿者:naoko
  • 投稿日:2012年 1月30日(月)12時32分52秒
 
呑舟様へのお返事です。
紀州菅田氏の系譜についてのご教示有難うございました。
家紋、替紋、幕紋について、紀州菅田家に比較的正確に継承されていることは、私も興味深く思っていました。やはり武門の家はさすがと感じています。

直之の女「備後」足跡についても、戦国末期の大友氏の戦歴とその没落に連動していることと考え合わせると理解できます。ただ、大友氏の重臣・入田氏の宗家は、豊後・薩摩の合戦では主家を裏切って島津氏に内通し、合戦後は島津氏に仕えたらしい。そうすると文禄の役後、毛利家に蟄居した大友義統(よしむね)に随行したと思われる「備後」の夫・入田両庵は入田宗家とは別流でしょうね。

さて、すでにご存知のことと思いますが、「福岡藩・初期(上)」を見ていたら『収録史料の解題』に大野家文書の解説があったので、写真をUPしてみました。なお、私が入手したのは上巻であって、下巻の『大野家譜』はまだ見ておりません。この家譜は、東大史料編纂所の「土佐諸氏系図」の元祖が『越智姓、大野左馬右衛門直吉』の系譜と同じものかもしれませんね。
大野左馬右衛門直吉の本姓は村上氏だそうですが、以前に福岡市博物館が取り上げた「大野忠右衛門の像」の由緒には、『村上天皇廿八代之苗裔村上右衛門/太輔通康五代之末葉大野忠右衛門/尉貞勝五十八歳之壽像也』とあるそうです。

村上通康は来島村上家の人ではありませんか?
大野直秀(隆直)が能島村上武吉の扶助を受けたのなら、直秀(隆直)の家司を務めた大野(村上)左馬右衛門直吉は能島村上家の人では?と浅学な私は?です。

なお、曽我部家に関する文書は残念ながら「福岡藩・初期(上)」「同 (下)」の目次には見当りませんでした。



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