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赤穂藩城代家老 大野九郎兵衛
投稿者:
呑舟
投稿日:2012年 2月 4日(土)20時14分15秒
元禄14年当時の赤穂藩城代家老大野九郎兵衛の出自を
調べていますが今ひとつはっきりしません。
「仮名手本忠臣蔵」が彼を善玉「大石内蔵助」に対して悪玉「大野九郎兵衛」
としているのは芝居上の演出で信用のおけるものではありません。
史実としてわかっているのは
①正保2年(1645)6月22日浅野長直が笠間から赤穂移封後の
仕官で普代ではなく新参者であること。
②同年8月には早くも大坂高砂の町人に対し赤穂東濱の塩田
開発の条件を近藤正純、奥野将監らと連名で提示していること。
③延宝3年(1675)藩主浅野長矩の許可を得て初めて藩札を
発行していること。
④元禄時代の屋敷は城内塩屋門口にあったこと。
⑤赤穂藩断絶に伴い流浪の身となる。
ぐらいしかつかめていない。
所謂、新封地五万石の経済官僚として招聘され、赤穂塩田の開拓に手腕を発揮して
塩石高三万五千石を上乗せして赤穂藩を実質九万石近い実高にしたのは彼の功績
である。藩札発行もその一環です。所謂有能な経済官僚で「悪玉」ではありません。
私は「大野九郎兵衛」は伊豫の大野家の末裔ではないか
と調べています。赤穂浅野仕官は本家広島浅野家の
口利きではないかと思っています。
「九郎兵衛」は伊豫大野家の本分家を問わず惣領の
代々の名乗りです。
伊豫大野家家紋は「木瓜ニ引両」「左巴」幕紋に
「向鳩」を使用します。これらのいづれかを使用し
ていないかと調べています。
ただ「通字」が大野は「直」であるので彼が「房」使用
しているようなので伊豫宇都宮家の影響を受けて
いる可能性もあります。
大坂の天野屋利兵衛と連携してやはり討入りの後方
応援をしたのではないかと思っています。
天野屋利兵衛は実在の人物ではないと主帳する人が
いますが、実在の人物で大坂南町の惣年寄であり
岡山池田公の出入り商人です。
かつ、天野屋は赤穂大野と親族の可能性もあります。
天野屋利兵衛の本姓は「大野九郎兵衛直之(直治)」
で、伊豫大野家の子孫です。
なんとか上記の関係を証明したいと思っています。
赤穂市内に大野九郎兵衛の子孫を名乗る家がある
ようですので連絡が取れればと思っています。
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