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  • Re: 紀州徳川 大野(菅田)家

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 2月 8日(水)14時39分29秒
 
> ここで黒田如水の名が出てきて大政所(ねね?)を通じて秀吉の耳に入ったとされますが、事実か誇張かは
> 分りませんが黒田如水と絡むところが黒田家士大野家を連想します。
> 慶長三年に長束大蔵大輔に召出されて父直之の堪忍料として江州栗田郡駒井中村を賜ったとされます。
> 故あって同所を去り武州江戸に出て浪人とあるので、なにか不始末があったのかも知れません。
>
> ただ「屋代島本」によると彼は土井遠江守に仕えて六百石とありますので一時牢人したのかそれとも
> 土井家へのトラバーユで揉めたのか面白いところです。土井遠江守は徳川直参重臣と思われますので
> トラバーユのようです。

●と書きましたがトラバーユではなさそうですね。
 長束大蔵大輔は長束正家のことらしく彼は豊臣政権の五奉行の末席奉行で主に経済面や兵站部分を
 担当していた人物です。
 紀州菅田系譜が語る「秀吉より長束大蔵大輔(正家)をして(彼の領知の内)江州栗田(太)郡駒井中村
 を知行」とあるのは史実と思われます。
 慶長三年知行と「上川村本」は書きますが、知行の秀吉の口利きが慶長元年の朝鮮征伐の武功とされるので
 当時長束は近江水口城五万石の城主でうすが、慶長二年に十二万石に加増さらますのでこの時の仕官かと
 思われます。少なくても慶長三年八月十八日に秀吉は死にますので此処までの間と思われます。
 秀吉は慶長三年は殆どモウロクしてますから仕官は慶長二年と思っています。

 この秀吉の死から雲行きが長束家は雲行きがおかしくなり、徳川家との交渉役との経緯から徳川家康にも
 近く徳川秀忠を質として迎えるのも彼であり、ここで秀忠と接触するので後に「大野河内」が秀忠室に上がる
 とされるのもこれ等が縁かもしれない。
 結局長束は石田三成に味方して関ヶ原の戦いで西軍となり敗北し、敗走したが、本領安堵に騙されて
 ノコノコ出て行って池田軍に捕まって切腹させられた。

 よって慶長五年の長束家断絶により大野直綱は江戸に向ったと思われます。
 この時「河内」も行動をともにしていると思われます。
 大野備後は慶長十年に中和門院の女房となりますからこの五年間になんらかの経緯が
 あったものと思われます。
 大野河内、大野備後、大野直綱、大野(大坂・天野屋)はすべて同時代なので
 一族として連絡を取り合っていた可能性が高い。




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