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  • Re: 紀州徳川 大野(菅田)家

  • 投稿者:naoko
  • 投稿日:2012年 2月 9日(木)18時38分26秒
 
直綱は
> > 慶長三年に長束大蔵大輔に召出されて父直之の堪忍料として江州栗田郡駒井中村を賜ったとされます。
> > 故あって同所を去り武州江戸に出て浪人とあるので、なにか不始末があったのかも知れません。


>  長束大蔵大輔は長束正家のことらしく彼は豊臣政権の五奉行の末席奉行で主に経済面や兵站部分を
>  担当していた人物です。

○長束大蔵大輔の情報を有難うございます。
大野直之の子、直綱は江戸で浪人する前に会津へ行っていますね。
これは、慶長5年正月、大阪城西の丸の徳川家康に諸大、小名が新年の祝儀に参上したのに、上杉景勝だけ本人が上洛しなかったので、評議によって会津攻撃が決定した。
随行大名は黒田長政~山内一豊~等々、家康の直臣、井伊直政、本多正信~等、5万5800余人だったそうです

大野直綱が会津に赴いたのなら、東軍徳川陣営に組したのでしょうから、長束家の領地を辞退したのは当然だと思います。

小田上川庄屋の大野直尚の覚書では、(彼は直次と直綱を取り違えているか、叔父と甥が同名だったかもしれませんが)直次が江戸屋敷土井大炊頭(おおいのかみ)に仕えたとしている。
この人物は、呑舟様がご教示くださった土井遠江守利隆(1619~1685)の父親で土井利勝(1573~1644)ですね。土井利勝は徳川秀忠が誕生したときからの傳役(もりやく)で、大老にまで出世します。

土井家中の伊予大野氏もたぶんいい役儀をもらったことでしょう。
案外、この土井家中の大野氏が重要な役回りを担ったのかもしれません。
同時代の福岡筑前、紀州和歌山、江州彦根、江戸、加えて浅野家中の大野氏を探索しなくてはなりませんね。気が遠くなりそうです。




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