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  • Re: 越智家・河野家家紋を考える

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 3月24日(土)07時42分54秒
 
【予章記・上蔵院本】は

「三並新羅ヨリ帰朝ノ時、家ノ紋ヲ定ム・・・・」の条で

「三並、船ノ紋は一粼ニシカ(伊豫皇子御下向時ノ例ナリ)
 御方ノ類ニソノ類余多クアリケレハ、別ニ傍折敷ヲ角違ヘニ推ムニテ舷ニ立ラル、其ノ影
 高ク海水ニ浮ヒ波ニ漂ヒクタケルカ三文字ニ見タリ、其後夷国帰朝の喜例
 トシテ傍折敷三文字紋ヲ家ノ紋トシテ定メ玉フ、
 異説是多シ、重テ正之」

 と書いています。

 「上蔵寺本」ですから明らかに室町末期の編纂文と思われます。

 これを書いた人も相当悩んだようですね。最初にこの記事を読んだ時は私も
 「そうか!河野家家紋の由緒はこうであったのか!」と単純に理解しました。

 其の後、色々な資料をみるとそうでもないなあ、と思うようになりました。

 この「予章記」の記事は現在の「傍折敷縮三文字紋」を前提に一所懸命由来の理屈付けを考えた
 形跡があります。

 「別ニ傍折敷ヲ・・・・・」と書いています。

 これはこの予章記を書く時はすでに「見聞諸家紋」にある角折敷(四角形)ではなく傍折敷(角のとれた
 変形八角形」になっていたことによるものと思われます。
 よって「予章記」は後世の編纂と考えるゆえんでもあります。

 角折敷と傍折敷の違いは、元々折敷とは神様にお供え物をする時の盆ですから制作技術の変遷から
 とされます。今の傍折敷のように四つ角を切って折敷にする技術は室町中期以降とされます。
 何時からなのかが分れば河野家が傍折敷紋に切り替えた時期もだいたい推定できるのですが、
 これには室町期の「木地師やサンカ」の歴史を探求しないとわかりません。

 角と傍とが混乱したイメージになりますので双方UPします。


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