投稿数上限に達したので書き込みできません

  • [20]
  • Re: 越智家・河野家家紋を考える

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 3月24日(土)08時32分4秒
 
> 【予章記・上蔵院本】は
>
> 「三並新羅ヨリ帰朝ノ時、家ノ紋ヲ定ム・・・・」の条で
>
> 「三並、船ノ紋は一粼ニシカ(伊豫皇子御下向時ノ例ナリ)
>  御方ノ類ニソノ類余多クアリケレハ、別ニ傍折敷ヲ角違ヘニ押ムテ舷ニ立ラル、其ノ影
>  高ク海水ニ浮ヒ波ニ漂ヒクタケルカ三文字ニ見タリ、其後夷国帰朝の喜例
>  トシテ傍折敷三文字紋ヲ家ノ紋トシテ定メ玉フ、
>  異説是多シ、重テ正之」
>
>  と書いています。
>
>  「上蔵寺本」ですから明らかに室町末期の編纂文と思われます。
>
>  これを書いた人も相当悩んだようですね。最初にこの記事を読んだ時は私も
>  「そうか!河野家家紋の由緒はこうであったのか!」と単純に理解しました。
>
>  其の後、色々な資料をみるとそうでもないなあ、と思うようになりました。
>
>  この「予章記」の記事は現在の「傍折敷縮三文字紋」を前提に一所懸命由来の理屈付けを考えた
>  形跡があります。

①「別ニ傍折敷ヲ角違ヘニ押ムテ舷ニ立ラル・・・」とあります。

 これは変形八角形になったとの説明の伏線と思われます。
 ここで筆者は大きな間違いをしているようです。傍折敷を角違えにすると変形十六角形になってしまいます。
 「上手の手から水が漏れた」感じですね。

 正しくは「角折敷の角違え」とすべきだったのでしょうが、この時越智家一門の中に堂々とこの紋を
 掲げている家を思い出したのかも知れません。
 この越智氏一門家は以前投稿してもらいました広島能美島の山野井家です。
 この家は貞治2年(1363)河野通尭が伊豫から逃れて来る時、中子藤重とともに
 落ちてくる河野主従を受け入れた家とされます。
 山野井家は三島神社大祝家の流れと思われます。
 大山祇(三島)神社は河野家と小早川家が常に取り合いをしています。
 小早川家承認神官が大山祇神社を仕切ったこともあります。
 山野井家は後に小早川一族乃美家と関係を結び変容していくようです。
 この紋をUPしてくれたのは能美島山野井家の子孫で現在広島で工務店を
 経営されている実業家の山野井さんです。

 山野井家紋は


スレッド一覧

  1. お知らせ(11)(管理人 今城)
  2. 平岡氏の家系(37)(KenKen)
  3. 道後 義安寺(10)(呑舟)
  4. 伊予黒川家と正岡家(81)(呑舟)
  5. 芸州 河野家末裔たち(54)(呑舟)
  6. 丸に九枚笹(4)(つくね)
  7. 言葉の歴史(ことのはのときのながれ)(2)(呑舟)
  8. 河野系図異同は通信以降に始まった?(15)(呑舟)
  9. 予州 大野家について(133)(呑舟)
  10. 水軍フェリー、風前の灯火(5)(maru阿弥)
  11. 海賊のお話(29)(呑舟)
  12. 越智家・河野家家紋を考える(29)(呑舟)
  13. 越智河野氏の出自や如何に?(134)(管理者)
  14. 河野水軍と仏教(20)(岩崎山法栄寺)
  15. 湯月城リサイクル作戦(25)(呑舟)
  16. 再び「笹ケ峠の合戦」へ(40)(管理人)
  17. 牛福通直と平岡氏(51)(呑舟)
  18. 今城伊豆守通興の子孫たち(17)(伊豆守直系子孫)
  19. 戒名は難しい・・・・(6)(呑舟)
  20. 河野家文書を見る(5)(呑舟)
スレッド一覧(全43)  他のスレッドを探す  スレッド作成 掲示板に戻る

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成