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  • Re: 飯田家・平岡家

  • 投稿者:呑舟
  • 投稿日:2012年 5月23日(水)02時05分52秒
 
●朝コメントを書いたのですが送信忘れをしてパーにありました。
 再度、その後の問合せを含め愚見を述べさせて頂きます。

> それでは大島三蒲を領している家系(弥七郎や孫七郎も?)が本家なのですね?

●本家か否かはわかりませんが、貴殿がお探しの家と思われます。

> >1592年領地の久賀で没と記録されているなら、大内氏・陶氏の代からの領主の可能性と
>  1554年に屋代島を安堵される、来島通康の関係者の可能性も出てきましたね。

> ●義武以降の情報は余り持っておりませんが、安芸に来た経緯は少し伝わっております。
> 源頼信の九代孫、飯田信基を祖とする系統のようです(清和源氏頼清流)。
> それを辿ると保元の乱にも登場する信濃村上氏の祖・村上為国やその子基国も系図の通過点で発見出来ます。基国の母は保元の乱で後白河天皇側の実権を握った藤原信西の娘です。
>
> 基国は平家追討の際に義経に従い、一の谷の戦いの鵯越えの逆落としに参加したとの情報が調べると出てきますが、どこまでが事実かは判りません。
> その後、基国孫の飯田信基は飯田荘を領したことから村上から飯田に改姓したと思われます。
> 飯田一族は建武時期に毛利時親と足利高氏に従って安芸高田に下向したとのことです。それまでは信濃ないし鎌倉に居住していたのではないでしょうか。

●貴家が信濃村上の流れだとすると、能島村上と同根とも考えられますが、いづれも複数の説があり
 よく判りません。飯田を領したから飯田と称したのであれば、長野県飯田市が考えられますね。
 信濃村上の本貫地更科郡村上郷と連携して統治していたことが考えられます。
 これに対し、村上海賊の信濃村上末裔説はイマイチ確証のないままです。
 これは説明すると長くなりますのでまたの機会にしましょう。

> 毛利元就が水軍を編成する際に、児玉就方と飯田義武に川ノ内警護衆を任せたとあります。飯田義武は毛利水軍創成期の大将の一人です。
> 毛利氏は内陸の国人なので、武田氏攻略後に水軍の重要性を悟った元就が編成させ、小早川氏や村上氏を味方に付けて毛利水軍が大きくなっていったと思いますので、陶氏滅亡前は屋代島は毛利氏の領土ではないと思われます。

●勿論、陶氏滅亡前は屋代島は大内氏の領地です。陶氏は主家を滅亡に追い遣った反逆者ですから
 毛利氏に攻撃の口実を与えてしまいました。陶氏と毛利氏が雌雄を決する戦いが厳島合戦ですから
 双方ともに村上水軍にラブコールを送ります。毛利は来島通康に協力してくれて勝てたら
 「屋代島をあげるよ」と約束しました。

 村上水軍の援軍により毛利は勝利を得ますので、屋代島の一部を通康に渡します。
 この時、飯田家も移った感じがします。
 毛利や小早川と関係しているなら毛利家か小早川家の家臣として安堵されたようです。

 古い記録に厳島合戦以降に屋代島に知行地を持っていたのは緒方、小形、高井、長崎、矢野
 原、栗田、吉井、守友、内藤、桑原、沓屋、櫛辺、白井、飯田、であり
 関ヶ原の戦いで毛利側が負けて、防長二国に押し込められる時、
 内藤、桑原、沓屋、櫛辺、白井、飯田らの数軒を残し、他の武士は知行を召し上げられて帰農
 させられます。召し上げられたのは旧大内時代からの領主たちのようです。
 こうして余ったところへ、村上、平岡、御郷、橋本、友沢、浦らの諸家が安芸や備後から
 移ってきます。

 となると飯田家は屋代島以外に領知を持っていた可能性があります。
 「毛利家八箇国時代分限帳」を調べる必要がありそうですね。

尚、水軍を毛利側は警固衆と呼び、伊豫側では海賊衆と呼びます。

 三島村上水軍は海賊衆です。

 三島村上で安芸に近い因島村上は古くから小早川氏の影響下にあり、伊豫の来島村上は伊豫河野家
 と深い関係で、戦国期には伊豫河野家を相続しますが、それを認めない、河野牛福通直を担ぐ一派
 と対峙して結局、秀吉に走り、後に久留島と改名した大名となりますが、逆に河野宗家は滅亡します。

 警固衆と海賊衆は似ているように思われますが中身は全く違います。

 毛利(小早川)警固衆は海上専門の武士団ですがこの中に戦闘員として舟子や船頭は入りません。
 これに対し海賊は当たり前ですが、漕子から船頭、大将に至るまで全員戦闘員です。

 単機能集団と多機能集団ですから、同一規模、同一人数なら海賊が圧倒的に有利です。
 このことを知っていた、小早川隆景は臣下の乃美に命じて、厳島合戦の合力を取り付けようと
 懸命に動いたのです。

 三島村上ともに領地を持っていませんでしたから経済的には年貢に頼る組織体ではありません
 でした。海上を利用したい者への請負経済で生活をしていました。
 本来は運送業ですが、戦いに関連すると武装して出かけました。請負仕事がないときは
 アルバイトに海賊(強盗)もしていました。
 能島村上家はこれらの号令権を有していたと思われます。

 請負ですので条件が合えば何処へでもでかけます。クライアントは長門の大内、伊豫河野、豊州大友
 安芸毛利氏が主で、一番派手に稼いだのは大内家との契約とされます。
 これは誉められたことではありませんのであまり公式には記録を残していません。
 内容的には、室町幕府を経済的に支えた大内氏の命で、隣国朝鮮国に借金を申し込む使節団に
 随行します。カツアゲと同じですので朝鮮国王は断ります。
 そうすると俄に武装集団と化し、相手の食料庫や、めぼしいものを略奪し帰国します。
 これらを大内氏は何度も繰り返します。
 朝鮮国は抗議してきますが、正式な臣下たちがしたことではないので知らぬ存ぜぬで押しとうし
 ます。一般に「倭寇」とも言われます。

 これらの強盗及び殺戮を禁止したのは能島村上武吉です。本業の通運業と航海の安全を保証する
 帆別銭制度の確立や、水軍業で村上水軍の生業を成立させようとしました。


ともあれ、来週のNHKの大河ドラマは「保元の乱」で武士の地位が大幅に上がるきっかけの
戦いでもあり、貴家の先祖が導いているのかもしれませんね。
単なる偶然ではありません。




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