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  • (無題)

  • 投稿者:KenKen
  • 投稿日:2012年 5月24日(木)20時09分36秒
 
呑舟様
> 先に遠祖、元祖を固定しますと辻褄の合わない一次史料が出てきますとすべてを捨て去らなくては
 ならなくなり大変難儀な決断が必要となります。
 伝承や古系図は重要ですが、現代から逆に過去に遡る手法も同時に検証していかねばなりません。
 貴家は明治維新まではほぼ確定しています。
 これに「萩藩譜録」の飯田系図を繫ぐと江戸時代はほぼ間違いないでしょう。
 問題はこれより先です。
●家系図に関する詳しいご説明ありがとうございます。
義武までの流れが、ほぼ間違いないということで
お陰様で今までより一歩前進した感じがします。。
平岡家を辿って相談してみて本当によかったです。
飯田弥七郎付近の接続が不明だった中で、親戚のメモを手に入れ、
それを掲示板で相談した結果、だいぶ明らかになってきました。
代々伝わるような古文書などがない分、
やはりご助言の通り萩藩の書籍類を閲覧・購入する必要がありますね。
飯田家の菩提寺洞松寺も四境戦争で全焼していると聞いています。
もし焼けなければこちらに何らかの資料が保存されていた可能性があったでしょうね。

>以前にも書きましたが「萩藩譜録」の記述は戦国期以前は各家とも結構いい加減に書いています。
●これは今後見解をお聞きしたい内容ですが、村上氏も長州藩になってから毛利家に系図を届け出た時、北畠顕家を祖としているとどこかで見ましたが、
これが事実からの記述からなのか、ただの伝説なのか気になっています。
平岡家も河野家の庶流だとか、そうではないとか、掲示板での対談で拝見させていただきましたが、平岡家の戦国以前の家系も定かではないのでしょうか。

>長州大野家
予備知識が無かったので調べてみましたが、
吉川広家の家系の三男の家系と記載されていましたが、こちらの家系のことでしょうか?
ご説明のように、兄弟の家系で元祖が変わるのは驚きますね。
何故書き換える必要があったのでしょう。
嫡男が情報を独占して、分家は誰が祖であったかも教えてもらえなかったものなのでしょうか。

>とてもではありませんが毛利最盛期で飯田家が一萬石を領していたとは思えません。
 一万石以上は江戸時代では大名扱いとなります、毛利家では一万石以上は一門(親族)に 限られています。毛利分限帳をみれば簡単にわかります。
●なるほど、そう思われますか。
 私も口伝いで半信半疑でしたので、
 その方面の知識に明るい方にご指摘頂いてよかったです。
 1万石の件は手持ちの資料などに記載されている訳ではなく、
 唯一人の先祖が発言していただけなので何の根拠もありません。
 とにもかくにも分限長の類から探すしかないのですね。
 後、土地のご説明はとても参考になりました。
 ご先祖様方は生きるため経営に苦労していたのですね。

>河野水軍と来島氏
●ご説明ありがとうございます。
家督相続で気になったのですが、儀式をするということは
来島氏も牛福通直も一度は家宝を所有したというこですよね。
先に来島が家督を相続したのなら、後に奪取されたか、何らかの話し合いで譲渡された可能性はあるのでしょうか?
もしくは神器のない状態で即位した天皇のように、
例外的に家宝無しで代替品か何かで儀式を行って相続したとか。



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